世界大百科事典(旧版)内のPyrrhicvictoryの言及
【ネオプトレモス】より
…トロイア戦後の彼については,デルフォイで神官と争って殺されたとも,ギリシア本土西北部のエペイロス地方へ赴き,モロッソス人の王となったともいう。前280‐前279年にイタリア南部でローマ軍と戦ったエペイロス王ピュロスは,多大の犠牲を払ってかろうじて勝利をおさめたことから,のちの世にPyrrhic victory(〈引き合わない勝利〉の意)の言葉を残したが,その彼はみずからをネオプトレモスの後裔と主張した。【水谷 智洋】。…
※「Pyrrhicvictory」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」