世界大百科事典(旧版)内の《Qābūsnāma》の言及
【ジヤール朝】より
…しかし935年に,彼が配下のトルコ人奴隷によって暗殺されて以降は急速に衰退し,サーマーン朝,ガズナ朝の宗主権下に,カスピ海南岸部で辛うじて命脈を保つだけになった。7代目の君主カイ・カーウースKay Qā’ūsが63歳のとき(1082∥83)に愛息に書き残した遺訓の書《カーブースの書Qābūsnāma》は,ペルシア文学の傑作としても有名である。【清水 宏祐】。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」