世界大百科事典(旧版)内のRahman,Z.の言及
【バングラデシュ】より
…政府は信頼を失い,加えて汚職やラーマンの身内びいきが命取りとなり,75年8月の軍人によるクーデタでラーマンは殺害された。
[ジヤウル・ラーマン政権]
その後の流動的な情勢は,75年11月の連続クーデタの結果,陸軍総参謀長ジヤウル・ラーマンZiaur Rahman(ジアウル・ラーマンとも)少将によって収拾された。ジヤウル・ラーマンは76年11月には自ら戒厳令総司令官に就任,軍政が定着した。…
※「Rahman,Z.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」