世界大百科事典(旧版)内のRegulamagistriの言及
【ベネディクト会】より
…5,6世紀のみぎりイタリアはゲルマン諸王国興亡のさなかにあって政治・経済的荒廃がはなはだしかったが,同時に精神的更生を求める気運も盛んで,あらゆる社会階層から修道士志願者が続出していた。ベネディクトゥスはこれらの人々を集めて〈天主に奉仕する学校〉を創立しようと試み,ローマ法や〈レグラ・マギストリRegula magistri〉(6世紀初頭に起草された筆者不明の修道院規則)などを参照しつつ,個人的体験をもとに独自の中庸を得た修道生活の原則を樹立し,修道院長を父とする家庭としての組織をあみだした。この会則はやがて西欧修道制の一つの典型となり,アイルランド系の戒律と競合して8世紀以降圧倒的な影響力を示すことになる。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」