世界大百科事典(旧版)内の《RomaundJerusalem,dieletzteNationalitätsfrag》の言及
【ヘス】より
…1848年の革命後は,スイスを経てパリに亡命。50年代以降ユダヤ人解放に関心を寄せ,《ローマとエルサレムRoma und Jerusalem,die letzte Nationalitätsfrage》(1862)を著して,シオニズムの先駆者と目される。60年代以降も労働問題への関心を失わず,一時ラサール派だったが,晩年は国際労働者協会でマルクスを支持した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」