世界大百科事典(旧版)内のSōtērの言及
【アンティオコス[1世]】より
…父王の死後,王国の確立に腐心し,前278年ころマケドニアに対する野心を捨てるかわりに,小アジアとトラキアでの支配権を認めさせる条件で,マケドニアのアンティゴノス2世と和解,その後ながくつづくマケドニアとの友好関係の基礎をつくった。前275年ころには小アジアに侵入したガリア人に勝って,ソテルSōtēr(救主)と称された。しかしエジプトのプトレマイオス2世と争って小アジア西・南岸の領土を失い(前274‐前271年の第1次シリア戦争など),ペルガモンのエウメネス1世にも敗れて(前262ころ)その独立を認めざるをえなかった。…
※「Sōtēr」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」