世界大百科事典(旧版)内のSantaMaríadeNarancoの言及
【スペイン美術】より
…イスラム教徒の半島侵入は,8世紀から10世紀にかけての北部キリスト教地域にアストゥリアスとモサラベという,ともにユニークな様式を生んだ。イスラム勢力に追われた西ゴート・キリスト教徒は,半島北西端に退いてアストゥリアス王国を建設,西ゴートの伝統を継承発展させ,サンタ・マリア・デ・ナランコSanta María de Naranco(848)に代表される,石造筒形穹窿を横断アーチと控え柱で支えるという,ロマネスク様式を先駆する建築群を残した。これに対し,イスラム教圏に残留したキリスト教徒つまりモサラベが迫害を逃れて北部に造ったキリスト教建築が,モサラベ建築である。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」