世界大百科事典(旧版)内のSantaMariadelleGrazieの言及
【ミラノ】より
… 第2次大戦中,とくに1943年の空襲によって,ミラノには大きな被害があり,多くの建物が破壊された。有名なレオナルド・ダ・ビンチの《最後の晩餐》のあるサンタ・マリア・デレ・グラーツィエSanta Maria delle Grazie教会(15世紀後半)も土囊を積んで保護してあった壁画部分を残して瓦れきの山と化した。第2次大戦後,爆撃による被害の修復と,イタリアの経済中枢としての急速な発展に対応すべく都心部の再開発および郊外の整備が行われた。…
※「SantaMariadelleGrazie」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」