世界大百科事典(旧版)内のSantidiTitoの言及
【マニエリスム】より
…この時期(1580‐90)をもって〈プロト・バロック〉の台頭,マニエリスムの終末とされる。ただし,1620年代まで,ローマではF.ツッカロ,カバリエーレ・ダルピーノCavalier d’Arpino(1568‐1640)などのアカデミックなマニエリスト,フィレンツェではサンティ・ディ・ティートSanti di Tito(1536‐1603)やチゴーリCigoli(本名カルディLudovico Cardi。1559‐1613)などの,リアリズム的傾向と宗教性の強い〈改革派〉マニエリストが活躍した。…
※「SantidiTito」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」