世界大百科事典(旧版)内のSchmidt,H.の言及
【ドイツ社会民主党】より
…大連立政権は東方政策をめぐる意見の相違から解消され,69年SPDと自由民主党(FDP)の連立政権が成立し,ブラントは首相となり,72年の総選挙では得票率45.8%を得て,戦後はじめて第一党となった。74年にはシュミットHelmut Schmidt(1918‐ )が首相の地位を引き継ぎ,1970年代を通じてブラント(党首),シュミット(首相,副党首),ウェーナー(院内総務)のトロイカ時代が定着する。 1960年代末の学生の反乱はSPDの体質変化に大きな影響を及ぼす。…
【ドイツ連邦共和国】より
…連邦首相は,1949‐63年のアデナウアー,1963‐66年のエアハルトLudwig Erhard(1897‐1977),1966‐69年のキージンガーKurt Georg Kiesinger(1904‐88。いずれもCDU),1969‐74年のブラント,1974‐82年のシュミットHelmut Schmidt(1918‐ 。いずれもSPD),1982年以降のコール(CDU)の6人であり,そのうちアデナウアーは14年間も首相として,初期の旧西ドイツ政界に絶大な影響を及ぼしたが,コールは14年間の記録を破った。…
※「Schmidt,H.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」