世界大百科事典(旧版)内のScuolaPalatinaの言及
【カロリング朝美術】より
…それは今日《ゴデスカルクの福音書》とよばれるもので,そこに見られる福音書記者像には図式的な堅さは残るものの,衣には影をつけ肉体の丸みを出すくふうがなされ,ゲルマン的抽象性と古代風の写実性の混在が認められる。同系統の《アダの福音書》(785ころ),《サン・メダールの福音書》(9世紀初頭),《ロルシュの福音書》(9世紀初頭)などを総称して〈宮廷派Scuola palatina写本〉(〈アダAda群〉ともよぶ)というが,それらは時代が下るにつれて,いくぶん古代風の自然主義的写実の傾向が強くなる。〈ウィーンの戴冠福音書群〉とよばれる一連の写本は《ウィーンの戴冠福音書》(9世紀初頭),《アーヘン宝物館の福音書》(800ころ)を含むが,そこに見られる空気遠近法を使った背景や肉付きの的確な人物像はポンペイの壁画を思わせるほど古代風である。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」