世界大百科事典(旧版)内のSelimIIIの言及
【オスマン帝国】より
…これに対して歴代のスルタンは,軍事,行政,教育,法制などの分野における西欧化改革を進めることによって,ヨーロッパの要求にこたえつつ,自己の中央集権的専制支配を再確立する道を模索した。
[西欧化とその反響]
セリム3世Selim III,(在位1789‐1807)が新設した西欧型新軍団〈ニザーミ・ジェディードNizam‐ı Cedid〉に象徴されるように,帝国の改革はまず軍事組織から始まった。マフムト2世(在位1808‐39)は,イエニチェリ軍団を全廃し,同時にこれと結びついたベクターシュ教団を閉鎖し(1826),中央官制を改革して大宰相(サドラザム)に集中していた権力を分散させて,スルタンの権限を強化した。…
【露土戦争】より
…戦闘はドナウ川沿岸とカフカスの東西両国境で戦われたが,バルカンでは,P.カラジョルジェの指導下にオスマン帝国に反乱したセルビア人がロシアの支援をあてにしていた(セルビア蜂起)。戦争中,オスマン帝国では改革派のスルタン,セリム3世Selim III(在位1789‐1807)が殺されるなど政局は定まらず,ロシア側もフランスとの外交関係が悪化したため,両国は1812年5月ブカレスト条約を結び,ロシアがベッサラビアを併合し,ワラキアとモルダビアをオスマン帝国に返還し,セルビアは若干の自治を獲得して独立への足がかりを得た。21年のエテリア蜂起に始まったギリシア人の民族独立運動(ギリシア解放戦争)は西欧諸国の関心を呼び,27年10月に,イギリス,ロシア,フランスの連合艦隊は,ナバリノの海戦で,トルコ・エジプト艦隊を破り,ギリシア独立への道を開いた。…
※「SelimIII」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」