世界大百科事典(旧版)内のShāhManṣūrの言及
【ムザッファル朝】より
…しかし,彼の没後,領土は一族の間で4分割され,1387年にはティムールの侵攻を被って臣従を余儀なくされた。その後,シャー・マンスールShāh Manṣūr(在位1387‐93)が台頭して一族を率いティムールに対抗しようとしたが,93年再びティムールの攻撃を受けてシャー・マンスールは殺され,ほどなく同朝は滅亡するにいたった。【加藤 和秀】。…
※「ShāhManṣūr」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」