世界大百科事典(旧版)内のSonsofLibertyの言及
【アダムズ】より
…ボストン生れ。1764年以後のイギリス議会による植民地課税政策に反対し,ボストン民衆を〈自由の子どもたちSons of Liberty〉に組織し,ハッチンソンThomas Hutchinson(1711‐80)一門のマサチューセッツ植民地支配を攻撃した。64‐74年同植民地議会議員として,印紙税法への抗議決議,タウンゼンド諸法反対〈回状〉,植民地間通信委員会結成,70年ボストン殺戮事件,73年ボストン茶会事件で中心的役割を演じ,理論的には印紙税法反対の〈代表なくして課税なし〉から〈植民地議会と本国議会の対等論〉へ転換し,第2回大陸会議では他植民地の急進派と提携し,保守派を抑えて独立宣言に導いた。…
【アメリカ独立革命】より
…従来本国議会による植民地人に対する直接の課税はなかったので,この税は植民地人の強い危惧を引き起こし,アメリカ全土に反対運動が起こり,65年10月にはニューヨークで9植民地の代表が会して印紙税法会議を開き,本国に対し抗議を行う。各植民地において,反英抗争の組織として〈自由の息子Sons of Liberty〉が形成され,印紙販売人を脅かして辞職させ,イギリス商品の非買運動を実効化するなど,実力を伴った行動に出るにいたる。このイギリス商品のボイコットに打撃を受けたロンドン商人の圧力により,印紙税法は66年3月廃止され,砂糖税法も修正された。…
※「SonsofLiberty」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」