世界大百科事典(旧版)内のStein,J.A.の言及
【ピアノ】より
…この方式ではハンマーが鍵の後部に乗り,打鍵によって鍵の前部が下がると後部が上がり,ハンマーがはね上がって打弦する。この方式はシュタインJohann Andreas Steinらによって改良され,1790年代のウィーンで完成の域に達した。これは一般にウィーン式アクションと呼ばれて一時ドイツとウィーンで流行し,ハイドン,モーツァルト,フンメル,ベートーベン,チェルニーらが愛用した。…
【モーツァルト】より
…ミュンヘン,マンハイム,パリと続くこの旅行で,宮廷音楽家のポストは得られなかったモーツァルトではあったが,母親と二人で行った旅で得た音楽的経験は広く深く,また人生体験も豊かであった。いわゆる〈マンハイム楽派〉との触れ合い,マンハイムとパリでの交響曲,協奏交響曲,協奏曲,ソナタなどの作曲,アウクスブルクでのシュタインJohann Andreas Stein製作の優れたピアノとの出会い,この父親の故郷での従妹マリア・アンナ・テークラ(モーツァルトは〈ベーズレ(いとこちゃん)〉と呼んでいる)との交際,マンハイムでの歌手アロイジア・ウェーバーとの出会い,パリでの母親の死,帰路ミュンヘンでアロイジアに失恋したことなどである。 けっきょく帰郷して,復職し,またしばらくの間宮廷音楽家の職務に従事し,《戴冠式ミサ曲》(K.317),協奏交響曲(K.364―K.6320d),交響曲(K.318,K.319,K.338)などを作曲する。…
※「Stein,J.A.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」