TailaII(その他表記)TailaII

世界大百科事典(旧版)内のTailaIIの言及

【チャールキヤ朝】より

…次王ビクラマーディティヤ2世は,パッラバ朝の都カーンチーを3度にわたって占拠し,デカン進出を企てたアラブ勢力を阻んだが,封臣たちがしだいに地方の有力者と化し,755年ころ9代王キールティバルマン2世が封臣のダンティドゥルガDantidurgaによって廃されて,その地位をラーシュトラクータ朝にとって代わられた。 ラーシュトラクータ朝の約2世紀間の支配を覆したのは,タイラ2世Taila IIが973年ころに興したカルヤーニのチャールキヤ朝(後期西チャールキヤ朝)である。最初,都はラーシュトラクータ朝を引き継いでマーニヤケータMānyakheṭaにあったが,後にカルヤーニに移された。…

※「TailaII」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む