世界大百科事典(旧版)内のTailaIIの言及
【チャールキヤ朝】より
…次王ビクラマーディティヤ2世は,パッラバ朝の都カーンチーを3度にわたって占拠し,デカン進出を企てたアラブ勢力を阻んだが,封臣たちがしだいに地方の有力者と化し,755年ころ9代王キールティバルマン2世が封臣のダンティドゥルガDantidurgaによって廃されて,その地位をラーシュトラクータ朝にとって代わられた。 ラーシュトラクータ朝の約2世紀間の支配を覆したのは,タイラ2世Taila IIが973年ころに興したカルヤーニのチャールキヤ朝(後期西チャールキヤ朝)である。最初,都はラーシュトラクータ朝を引き継いでマーニヤケータMānyakheṭaにあったが,後にカルヤーニに移された。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」