Tiso,J.(その他表記)TisoJ

世界大百科事典(旧版)内のTiso,J.の言及

【スロバキア】より

…この運動の中心となったのはフリンカに率いられたスロバキア人民党(1925年にフリンカ・スロバキア人民党Hlinkova slovenská l'udová stranaと改称)であり,この党はカトリック聖職者,農民,知識人の一部の支持を得てしだいに勢力を拡大した。38年9月30日のミュンヘン協定によってチェコの国境地域ズデーテン(スデティ)地方のナチス・ドイツへの割譲が決定されると,フリンカの後継者ティソJozef Tiso(1887‐1947)は10月6日にジリナでスロバキア自治政府成立を宣言した。11月2日のウィーン裁定によって,スロバキア南部国境地域(住民の約60%はハンガリー人)がハンガリーに割譲された。…

※「Tiso,J.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む