世界大百科事典(旧版)内のTissot,J.J.J.の言及
【ジャポニスム】より
… 1856年パリの版画家ブラックモンが,版元ドラートルA.Delâtreのところで陶器の包装詰物に使われて偶然送られてきていた《北斎漫画》を発見し,そのデッサンのすばらしさに驚嘆し,これを友人の画家マネ,ドガ,ホイッスラーや批評家シャンフルーリ,ビュルティP.Burtyなどに伝えたところから,やがて印象派を形成することとなる一群の若い画家たちの間に,日本美術に対する異常な関心が発生したといわれている。その真偽については異論がないわけではないが,60年代のブラックモンの作品のなかに,明らかに広重の《魚尽し》や《北斎漫画》から引用した図柄が現れたり,ホイッスラー,マネ,ティソJames Jacques‐Joseph Tissot(1836‐1902)などの絵画作品にジャポネズリーを描き加える例が目だつことは事実である。またジャポニザンも急激に増えていった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」