世界大百科事典(旧版)内のTobis-Klangfilmの言及
【ドイツ映画】より
…それでもドイツでは自由契約制度や貸しスタジオの設備が発達していて,良心的映画作家たちは独立プロダクションを設立し,大資本の制約をのがれて映画をつくる自由が残されていたため,G.W.パプストは,敗戦後のウィーンを描いた《喜びなき街》(1925)や,ルイズ・ブルックスを映画史に残るスターにした《パンドラの箱》(1928)および《淪落の女の日記》(1927)などをつくり,また,ゲアハルト・ランプレヒト監督《第五階級》(1925),ハウプトマンの劇によるフリードリヒ・ツェルニーク監督《織匠》(1927)など社会の冷酷な現実を描いた作品もつくられた。
[トーキー時代――トビス社の設立とパプスト監督の活躍]
トーキーは,アメリカより約3年遅れて出発したが,まもなくドイツ独自のトーキー・システム〈トビス・クラングフィルムTobis‐Klangfilm式〉が完成され,1929年ころから本格的な製作が始まり,同時に高度なトラスト化が進んでウーファとトビスTobisの二大映画会社が市場を支配した。ワルター・ルットマン監督《世界のメロディ》(1929),ジョゼフ・フォン・スタンバーグ監督《嘆きの天使》(1930),ラング監督《M》(1931),エリック・シャレル監督《会議は踊る》(1931),レオンティーネ・ザガン監督《制服の処女》(1931),ウィリー・フォルスト監督《未完成交響楽》(1933),《たそがれの維納(ウイーン)》(1934)などがつくられ,また反ナチスの監督パプストは反戦映画《西部戦線一九一八年》(1930),資本主義社会の腐敗と偽善を痛烈に描いた《三文オペラ》(1931),労働者の国際的連帯を描いた《炭坑》(1931)などの問題作をつくり,ドイツの〈トーキー芸術〉確立に寄与した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」