世界大百科事典(旧版)内のTowarzystwoPatriotyczneの言及
【ポーランド】より
…そもそも憲法のすばらしさをたたえる演説をした最初のセイムでアレクサンドル1世は,憲法を無視して政府の予算案を提出しようとしなかったのである(1818)。ニコライ世にいたっては,デカブリストとの接触ゆえに反逆罪に問われていた愛国者協会Towarzystwo patriotyczneのリーダーが憲法の規定に従ってセイムで裁かれたとき,判決が軽すぎるとしてこれを無視し,彼らを勝手にシベリアに送ってしまった(1828)。(2)十一月蜂起 1830年,ワルシャワ歩兵士官学校のビソツキPiotr Wisocki(1797‐1874)を中心としたグループによる十一月蜂起は基本的に,こうしたロシア皇帝の専制的なやり方に対して特権擁護のためにシュラフタが起こした蜂起であった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」