世界大百科事典(旧版)内のUriburu,J.F.の言及
【アルゼンチン】より
…このため,保守派も譲歩して12年には民主的な選挙法(ロケ・サエンス・ペーニャ法)が制定され,同法の下で実施された16年の最初の大統領選では急進党のイリゴージェンが勝利を収めた。イリゴージェンは22年に国家石油公社(YPF)を設立して経済的民族主義の方向を打ち出したほか,労働者のための年金制度の拡充や大学制度の改革を行ったが,28年発足した彼の第2期政権は世界恐慌によって引き起こされた経済混乱に敏速に対応できず,30年9月6日ウリブルJ.F.Uriburu将軍のクーデタにより崩壊した。 ファシスト体制の樹立を目指したウリブル軍政が短命に終わったあと32年には保守派主導の民政が復活する。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」