世界大百科事典(旧版)内のVerkhovnyiSovetSSSRの言及
【ソビエト連邦】より
…しかしペレストロイカのもとで民族問題が噴出し,経済的分権化を図ることとも関連して,民族の自主性強化や連邦制の見直しが課題となっていたが,連邦制のあり方をめぐって対立し,1991年末にソ連邦は崩壊した。 制度上,ソ連邦の最高権力機関は当初は最高会議Verkhovnyi Sovet SSSR,1989年からは新設されたソ連邦人民代議員大会であって,ソ連邦にかかわるあらゆる問題を審議した。これは定例,年1回召集され,その選挙は地域別,民族=地域別,および社会団体(ソ連邦共産党,労働組合,科学アカデミー,その他の全国的自主団体など)から各750名ずつ,計2250名からなっていた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」