世界大百科事典(旧版)内のVilloldo,A.の言及
【タンゴ】より
…また,ブエノス・アイレスに19世紀半ば以来急増したイタリア系移民の,スペイン系とはひと味異なった音楽性が影響を与えたことも無視できない。初期の歴史については不明の点も多いが,ほぼ1860‐70年ころから基本的なリズムと曲の形式が定まり,1900年ころにはたとえば《エル・チョクロ》(ビジョルドAngel Villoldo作曲)のような古典的名曲が生まれるとともに,やがて不可欠のものとなる楽器バンドネオン(一種のアコーディオン)が演奏に採用されるなど,しだいに民衆音楽の形式として確立した。 タンゴはブエノス・アイレス南東部,ラ・プラタ川沿いの風紀の悪い場末町に生まれ,当時は下層社会の音楽として上中流社会から蔑視されたが,それ自体の音楽的向上に加え,1910‐20年代にパリでおおいに認められ流行したことなどから,全市民的な音楽としての地歩を築くようになった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」