世界大百科事典(旧版)内のVoulet,P.の言及
【ブルキナ・ファソ】より
…モシの王朝は枝分れして南部・中部・北部の三つの主要な王朝の支配が成立し,それぞれの王朝の分裂・移動・分枝の独立などによって大小さまざまな王国が興亡をくりかえした。 1887‐89年,フランスの軍人バンジェLouis Gustave Bingerがニジェール川からギニア湾にいたる探検の途中,オートボルタ各地を訪ね,その後95‐96年にブーレPaul Voulet中尉の率いるフランス軍がオートボルタに侵入し,モシの王を屈服させて保護領の協定を結んだ。その後1901年にロビ族が征服され,現在の地域は04年にフランス領オー・セネガル・ニジェール植民地の一部に編入されたが,19年,オートボルタ植民地としてまとめられた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」