世界大百科事典(旧版)内のWagner,G.の言及
【七宝】より
…現在この付近は七宝町と呼ばれて存在している。梶の出現で七宝工芸は大きく飛躍し,彼の弟子の塚本貝助(1828‐97)は,明治初年来日したドイツ人ワーグナーGottfried Wagner(1830‐92)の指導でその技術を大きく改良させ,さらに東京の濤川惣助(なみかわそうすけ)(1847‐1910)は無線七宝を考案,京都では並河靖之(なみかわやすゆき)(1845‐1927)が日本画風の七宝に特色を出し,名古屋では安藤重兵衛(1876‐1953)らが出て盛況を呈した。【由水 常雄】
[西洋]
古代における七宝については不明な点が多い。…
【陶磁器】より
…輸出地域では北・中米向けとアジア向けが多い。 明治に入って日本の陶磁器工業は,江戸末に来日し有田焼の改良をしたドイツのワーグナーGottfried Wagner(1831‐92)らにより,西ヨーロッパの技術を導入するとともに,1875年には有田に香蘭社が,1904年には名古屋に日本陶器(ノリタケカンパニーリミテドの前身)が設立され,近代陶磁器メーカーがスタートした。日露戦争を境として,燃料の薪から石炭への転換,工程の機械化,西洋の顔料の使用などの技術革新により,日本の陶磁器生産業はそれまでの工芸品生産主体から,実用品生産を中心とする近代的産業へと変化し,大規模な工場も現れてきた。…
※「Wagner,G.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」