世界大百科事典(旧版)内のWagner,Wielandの言及
【舞台照明】より
…1920年ころ,舞台美術家であるとともに演出家でもあったスイスのアッピアAdolphe Appiaとイギリスのゴードン・クレーグの2人が,前者はオペラ,後者は演劇の分野で,照明の重視と光と影による立体的,象徴的な舞台装置を提唱した。当時の照明技術では両者の提案を実現することができず理論倒れに終わったが,第2次大戦後,再開したバイロイト祝祭劇場の総監督ワーグナーWieland Wagner(1917‐66。R.ワーグナーの孫にあたる)が,アッピアの理論を継承し,演出と照明,舞台美術のみごとな融合を果たした。…
【ワーグナー】より
…ドイツの作曲家。〈楽劇〉の台本で文学史上も重要な位置を占める。警察関係の書記をしていたフリードリヒ・ワーグナーを父に,その第9子としてライプチヒに生まれた。少年のころギリシア文学やシェークスピア劇に熱中したが,ベートーベンの作品に接し,音楽家になる決意をした。18歳のとき,ライプチヒ大学に入って音楽と哲学を聴講した。 1832年ころから指揮者として各地を遍歴する。最初のオペラ《婚礼》の台本をプラハで書き,帰国後作曲を始めたが,未完に終わった。…
※「Wagner,Wieland」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」