世界大百科事典(旧版)内のWilderspin,S.の言及
【インファント・スクール】より
…産業革命によってひきおこされた労働者家族の悲惨な生活が幼児の心身の発達に及ぼす悪影響を防止することを意図した。1824年ウィルダースピンS.Wilderspinが結成したインファント・スクール協会が,その普及に果たした役割は大きい。40年から国庫補助金を受け,76年教育法により世界にまれな5歳児以上の義務就学の受入機関となった。…
【女子教育】より
…イギリス産業革命期に活躍したR.オーエンは,教育を権利としてとらえ,彼の経営する紡績工場に付設した性格形成学院(1816)は,10歳までの少年少女を工場労働から解放し,6歳までは保育の場を,10歳までは読み書き算,音楽,体操,裁縫,編物の学習の場を用意し,内外から注目された。その後,オーエンに刺激されたウィルダースピンSamuel Wilderspin(1792‐1866)は1824年にインファント・スクール(幼児学校)協会を設立し,イギリス各地に幼児学校を普及させたが,これらの学校の一部はのちにイギリス公教育制度の一環に組み込まれていった。一方,アメリカでも,産業革命の進展と深くかかわりながら,男子とともに女子にも教育をという動きが,無月謝公立学校運動の父と呼ばれたH.マンらの努力で30年代から展開された。…
※「Wilderspin,S.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」