世界大百科事典(旧版)内のWilhelmvonHollandの言及
【シュタウフェン朝】より
…彼の壮大な政治理念は,イタリアを中心とする地中海帝国の形成にあり,ドイツの統治は長子ハインリヒ7世,次子コンラート4世Konrad IV(ドイツ国王,在位1237‐54)にまかせた。フリードリヒの命とりになったのは教皇との対立であり,異端の烙印をおされ,教会の迫害者として破門された彼に対抗して,ドイツでは1246年ハインリヒ・ラスペが,1247年にはウィルヘルム・フォン・ホラントWilhelm von Hollandが国王に選出された。フリードリヒが死去するとともに,シュタウフェン家の勢いは落日の早さで落ち,シチリアを手中にするため遠征したコンラート4世が1254年他界した後には,同家からのドイツ国王候補は現れなかった(大空位時代)。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」