世界大百科事典(旧版)内のYakir,I.E.の言及
【大粛清】より
…ピャタコフGeorgii L.Pyatakov(1890‐1937),ラデックらが裁かれ,また37年2月の中央委員会総会中,ブハーリン,ルイコフらが逮捕され,38年の第3次モスクワ裁判において死刑が宣告されて処刑された。さらに1937年6月にはトハチェフスキー,ヤキールIona E.Yakir(1896‐1937)ら軍人もドイツのスパイとして処刑された。 これら一連の裁判による旧反対派指導者への見世物裁判とならんで,スターリンに忠実な党員もテロル支配の犠牲となった。…
※「Yakir,I.E.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」