ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ペドロ1世(残虐王)」の意味・わかりやすい解説
ペドロ1世(残虐王)
ペドロいっせい[ざんぎゃくおう]
Pedro I, el Cruel
[没]1369.3.23. モンティエル
カスティリア=レオン王 (在位 1350~69) 。カスティリアのアルフォンソ 11世の子。 16歳で即位し,初めは母の指導下に政治を行なった。ブルボン家のブランシュと結婚 (54) したが,王妃として遇さなかったため,フランスとの同盟を失った。異母兄エンリケ (のちのエンリケ2世 ) の反逆を制圧,残忍な一連の殺人により悪名を高めた。 1356~66年はアラゴンと戦い,66年エンリケの攻撃を受け逃亡,イングランドのエドワード (黒太子) の援助を求め復位に成功した (67) 。エドワードの帰国後は,その残忍さのために人望を失い,フランスの庇護を受けたエンリケにより退位させられ,暗殺された。
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