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古生物学者、人類学者。イギリス人宣教師の長子として東アフリカに生まれ、古生物学を専攻した。1931年以後、夫人メアリーMary(1913―1996)、長子リチャードRichard(1944―2022)とともにタンザニアのオルドワイ谷で発掘調査を続け、多くの重要な古人類化石を発見した。とくにアウストラロピテクス・ボイセイ(旧ジンジャントロプス、1959)、ホモ・ハビリス(1960)の発見は人類学者の間に多くの議論を引き起こし、リーキー自身の説には批判があるものの、その学術的意義は大きい。またリムノピテクス、シバピテクス、プロコンスル、ケニアピテクスなどの第三紀霊長類化石もリーキーによって発見されたもので、これらは霊長類の進化の研究にとって不可欠の標本である。1960年代以後、人類進化の研究は飛躍的に発展したが、その基礎はリーキーによって築かれたといえる。
[埴原和郎 2018年11月19日]
人類学者。ケニアのキクユ族に宣教していたイギリス人牧師の家庭に生まれた。1926年以来東アフリカで先史時代諸遺跡の調査を行う。ギャンブル洞窟の発掘は気候変化と編年の関係を明確にし,とくに後期旧石器時代研究上重要である。東アフリカのアシュール文化の理解に欠かせない,オロルゲサイリー,カリアンドゥシ両遺跡の発掘は,遺物の残存状態を詳細に記録した点で,発掘法としても画期的なものであった。しかしリーキーの名を世界的に知らしめたのはオルドバイ遺跡の調査である。アウストラロピテクスおよびホモ・ハビリスを発見し,オルドバイ文化,アシュール文化の進展を層位学的に位置づけた功績は,人類進化史解明への大きな貢献である。そのホモ・ハビリスの認定は,アウストラロピテクスからホモへの分枝を通説より古くに置くものであったが,最近の資料では彼の説を支持するものが多い。協力者であった妻のメアリー,息子のリチャードも人類学・考古学者。
執筆者:山中 一郎
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[がんじょうな猿人]
1938年,R.ブルームが南アフリカのクロムドラーイで出土の化石にパラントロプス・ロブストゥスの学名を与えて以来,南および東アフリカで多数の化石が発見されてきた。東アフリカからは,1959年にL.リーキーがジンジャントロプス・ボイジイと名づけた頭骨化石が最初であるが,まもなくリーキー自身が,その学名を,アウストラロピテクス・ボイジイに変更した。現在は全体を一つの種とみなして,アウストラロピテクス・ロブストゥスの学名で呼ぶことが多くなっている。…
…東アフリカのタンザニア北部にあり,リーキーらが調査したオルドバイOlduvai遺跡を標式とする世界最古の旧石器文化。その担い手はアウストラロピテクスで,この文化は東アフリカに始まり,中央アフリカを除くアフリカ全土および西アジアにひろがる。…
…ここには,前期旧石器時代のすべての時期の遺物が,多量にしかも層位的に出土するという意味で,世界で最も注目されている遺跡群がある。リーキーは1931年からオルドバイ峡谷の調査を始め,20年以上の年月をかけて多くの地点から層位的に出土する前期旧石器時代の石器群と動物化石とを発見した。人類化石はなかなか見つからなかったが,59年にメアリー夫人が地層中に原位置を保っている人類の歯3本と,岩屑の中から〈こめかみ〉の破片を発見し,下顎を欠くものの,ほとんど完全に復元できるまでの頭骨の破片を集めることができた。…
…L.リーキーが1959年に,タンザニアのオルドバイ渓谷で発見された猿人の頭骨化石に与えた動物分類学上の属名で,東アフリカをさすアラビア語系の古称〈ジンジ〉と,ヒトを意味するギリシア語の〈アントロポス〉という語からの造語。正式の学名はジンジャントロプス・ボイジイ(種名は,リーキーの財政的援助者のボイズにちなんでいる)。…
※「リーキー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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