ルワンダ大虐殺(読み)ルワンダだいぎゃくさつ(英語表記)Rwanda genocide of 1994

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ルワンダ大虐殺」の意味・わかりやすい解説

ルワンダ大虐殺
ルワンダだいぎゃくさつ
Rwanda genocide of 1994

1994年にルワンダで起こった大量虐殺事件。1994年4月6日,ルワンダ大統領のジュベナル・ハビャリマナとブルンジ大統領のシプリアン・ヌタリャミラの乗った飛行機が首都キガリ上空で撃墜され,搭乗者全員が死亡した。実行犯は判明しなかったが,当初はフツ人過激派の仕業とされ,のちにツチ人主体のルワンダ愛国戦線 RPFの指導者陣に疑いの目が向けられた。翌日,フツ穏健派のアガト・ユウィリンジイマナ首相が暗殺された。首相暗殺は,フツ穏健派と少数派ツチ人の政治家を排除し,政治的空白をつくりだすことをもくろんだもので,4月9日フツ過激派による暫定政権が発足した。その後数ヵ月にわたり政治的混乱と,フツ過激派武装集団インテラハムウェ(ルワンダ語で「ともに戦う者」の意)とインプザムガンビ(「同じゴールを目指す者」の意)が主導する大規模な虐殺が続いた。これに対し RPFが応戦を開始,7月初めにほぼ国内全土を制圧し,7月末,フツ人のパスツール・ビジムングを大統領,ツチ人のポール・カガメを副大統領とする暫定政府を樹立した。この大虐殺により,ツチ人を中心に 80万人以上の民間人が殺害され,200万ものルワンダ人難民となり,その大半ザイール(→コンゴ民主共和国東部に脱出した。大虐殺に関与した多数人間を訴追するため,国際連合安全保障理事会はルワンダ国際犯罪法廷 ICTRを設置し,1995年に審理を開始した。2001年,政府は伝統的な裁判手続きであるガカカ制度を活用した審理を提案,2002年にガカカ法廷が発足した。(→ルワンダ内戦

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