百科事典マイペディア 「ロンドン・フィルム」の意味・わかりやすい解説
ロンドン・フィルム[会社]【ロンドンフィルム】
→関連項目コルダ
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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…実際こうして,やはりハンガリー出身でハリウッドで活躍していた脚本家ラヨス・ビロ,フランスのルネ・クレール監督作品の名カメラマン,ジョルジュ・ペリナールを起用し,さらにハリウッドですでに活躍していたイギリス人の俳優チャールズ・ロートンを主役に招き,みずから監督した《ヘンリー8世の私生活》(1933)は,アメリカ市場に進出して大成功をおさめた最初のイギリス映画となった。コルダの創立した〈ロンドン・フィルム〉の国際色豊かなイギリス映画は次のようなものである。アメリカ人のH.M.ヤング監督《紅はこべ》(1934),フランス人のルネ・クレール監督《幽霊西へ行く》(1936),アメリカ人のW.C.メンジーズ監督《来るべき世界》(1936),フランス人の監督J.フェデルとアメリカから招かれた女優マルレーネ・ディートリヒによる《鎧なき騎士》(1937),さらに実弟のゾルタン・コルダ監督の,ハリウッドで開発されたテクニカラーによる色彩豊かな大作《四枚の羽根》(1939),《ジャングル・ブック》(1942)等々。…
…その中には最初の妻マリア・コルダ主演の《サムソンとデリラ》(1922,オーストリア)や《ハプスブルグ家の悲劇》(1924,ドイツ),マルセル・パニョル原作,脚本の《マリウス》(1931,フランス)等々がある。32年,イギリスに定住してロンドン・フィルムを設立し,デナム撮影所を建設,チャールズ・ロートンと2番目の妻マール・オベロン主演の《ヘンリー八世の私生活》(1933),ダグラス・フェアバンクス主演の《ドン・ファン》(1934),チャールズ・ロートン主演の《描かれた人生》(1936)という大作をみずから監督し,イギリス映画の存在を世界に知らせることに成功。さらに,フランスから,ルネ・クレールを招いて新人ロバート・ドーナット主演の《幽霊西へ行く》(1935)を,ジャック・フェデルを招いてマルレーネ・ディートリヒとロバート・ドーナットを共演させた《鎧なき騎士》(1937)を監督させ,またキャロル・リード監督《落ちた偶像》(1948)にはフランス女優ミシェール・モルガンを,アメリカの大プロデューサー,デビッド・O.セルズニックと共同製作の《第三の男》(1949)にはオーソン・ウェルズを起用して,〈国際性のある大作主義〉を進め,30年代および40年代に世界市場でイギリス映画の声価を決定的に高めてその発展に貢献した。…
※「ロンドン・フィルム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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