三木茂太夫(読み)みき・もだゆう

朝日日本歴史人物事典 「三木茂太夫」の解説

三木茂太夫

生年生没年不詳
江戸寛永(1624~44)ごろの砲術家。三木流棒火矢術の創始者。諱は清治(安門ともある)。一不と号した。播州(兵庫県)三木氏の庶流明石に居住していたが,島原の乱(1637~38)における防弾用の竹束に身を隠した一揆勢の進撃に対しては,火箭(火矢)が鉄砲より効果が大きかったことを聞き,先端を尖らせた樫の棒に鉄羽根を付けて,燃焼薬を塗り付けた麻紐を箭に巻き付けた一種焼夷弾を開発し,口径の大きな鉄砲をもって発射する火砲の術を考案した。鉄砲の威力と火箭の効果を合わせようとしたこの棒火矢術は,茂太夫の住居地に因んで明石火矢とも呼ばれ,その後の和流砲術にも影響を与えた。

(所荘吉)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三木茂太夫」の解説

三木茂太夫 みき-もだゆう

?-? 江戸時代前期の砲術家。
播磨(はりま)(兵庫県)の人。井上流砲術をまなび,三木流棒火矢(ぼうびや)術を工夫。明石火矢ともよばれる。讃岐(さぬき)高松藩につかえた。名は安門または清治。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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