西南日本の内帯と外帯とを分ける断層。諏訪湖(すわこ)南方から、赤石山脈西方、紀伊半島、四国を経て、九州西部八代(やつしろ)まで達する。北側の領家(りょうけ)変成岩類や花崗(かこう)岩類、上部白亜系和泉(いずみ)層群と、南側の三波川(さんばがわ)変成岩類との間に位置する。中央構造線の命名は1885年(明治18)E・ナウマンによる。中央構造線は単一の断層ではなく、それに沿っていくつかの異なる時期に異なる動きの断層運動がおこったことが知られている。
中央構造線は和泉層群堆積(たいせき)前のおそらく白亜紀中期にその形成が始まったと考えられ、この時期に領家変成岩類や花崗岩類が衝上(しょうじょう)断層に沿って南側の三波川変成岩類の上に移動した。この断層運動の時期を1941年(昭和16)に小林貞一(ていいち)(1901―1996)は鹿塩時階(かしおじかい)と命名した。鹿塩時階は、マイロナイト(断層岩の一種)形成を伴う断層運動の時期であり、鹿塩は長野県大鹿村にある地名で、鹿塩時階の名はこの地に鹿塩マイロナイトと名付けられた花崗岩起源のマイロナイトが分布することにちなんでいる。なお、鹿塩マイロナイトの形成時期は、以前は白亜紀中期と考えられていたが、現在では白亜紀後期と考えられている。さらに和泉層群堆積後、北側が下降する正断層運動で特徴づけられる市ノ川時階、三波川変成岩類の北方へ向かう衝上運動の砥部(とべ)時階、和泉層群が第四系の上へ衝上する菖蒲谷(しょうぶだに)時階の運動が知られている。
1970年代までは、上記のような中央構造線の上下方向の運動がとくに注目されていたが、1980年代以降、横ずれ運動が重要であることが明らかになってきた。和泉層群堆積時の最後期白亜紀には大規模な左横ずれ運動がおこり、細長い堆積盆内で堆積場の中心が西から東へと移動したことが知られている。この時期の左横ずれ変位量は数百キロメートル以上である可能性が指摘されている。また、古第三紀にも左横ずれ運動がおこったとされている。四国から近畿西部にかけての地域では、第四紀に右横ずれ運動がおこったことが明らかにされ、中央構造線活断層系(あるいは中央構造線断層帯)として父尾断層・池田断層(徳島県)、岡村断層・伊予灘(いよなだ)東部断層・伊予灘西部断層(愛媛県)などの多くの活断層が知られている。父尾断層の活動は、右横ずれであると同時に、北側の和泉層群が、三波川変成岩類を不整合で覆う第四紀堆積物に対して衝上しており、逆断層成分をもつ右横ずれ断層となっている。この断層は横ずれ圧縮の場で形成されたと考えられる。中央構造線活断層系の30年確率(30年以内に地震が発生する確率)は、四国ではほぼ0から最大で0.3%であるが、紀伊半島西部では0.06~14%と高くなっている。
1990年代以降、近畿西部や四国東部では、中央構造線が30度程度の北傾斜であることが、反射法地震探査で明らかになってきた。この付近の中央構造線は、吉野川の中・下流域、紀ノ川流域などの直線的な谷地形としてよく現れており、人工衛星からの写真でも明瞭(めいりょう)に認められる。フォッサマグナ以東の関東では三波川帯の北縁を通り、また東北日本では阿武隈(あぶくま)帯の東側を通ると推定されている。
[村田明広]
『杉山隆二著『中央構造線』(1973・東海大学出版会)』▽『山下昇編著『フォッサマグナ』(1995・東海大学出版会)』▽『後藤秀昭・中田高著『四国の中央構造線活断層系』(2000・広島大学総合地誌研究資料センター)』▽『愛媛県編・刊『中央構造線断層帯に関する調査成果報告書』(2000)』▽『愛媛県編・刊『愛媛県活断層調査報告書概要集』(2001)』
西南日本の内帯(北側)と外帯(南側)の境界をなす大断層。E.ナウマンがGrosse Medianspalteと命名(1893)したのにはじまる。この断層は熊本県八代(やつしろ)付近から大分県の佐賀関半島の北側をへて,四国の吉野川を通り,紀伊半島を紀ノ川に沿って横断し,伊勢から渥美半島に渡り,赤石山脈の西に沿って北北東に中部地方に向かい長野県諏訪湖付近に達して,その後は糸魚川(いといがわ)-静岡構造線に切られて北方へ転位,東方延長は関東地方まで追跡される。この断層のすぐ北側の領家変成帯は花コウ岩類や高温低圧型変成岩類で特徴づけられ,南側の三波(さんば)川変成帯は低温高圧型変成岩類によって占められる。四国と紀伊半島西部の場合は領家変成帯の南部に上部白亜系和泉層群が分布し,紀伊半島東部から中部地方にかけてはその南縁部にミロナイト(鹿塩(かしお)ミロナイト)が発達する。九州では領家,三波川両変成帯の帯状配列が乱れ,しかも新生代の火山岩類が広く分布しているため,中央構造線の位置が不明確になるが,この構造線は佐賀関半島の北側を通って上部白亜系大野川層群の分布域に入り,祖母(そぼ)山付近で矢部長克が命名(1925)した九州中央部を東北東~西南西に横断する臼杵(うすき)-八代構造線に合流するものと考えられる。中央構造線は中生代後期の酸性火成活動域の南縁における延性剪断帯として出現し,これに沿う断層運動は断続的ながら現在までつづいている。おもな活動期としては,白亜紀前期(構造線が出現した鹿塩時階),白亜紀末~古第三紀初頭(市ノ川時階),古第三紀後半,中新世中期~鮮新世および第四紀後半があげられる。断層運動の性格・規模は時代や地域によってかなり異なるが,水平変位についてみると,第三紀以前には左横ずれの場合が多く,第四紀には右横ずれが卓越する。中央線,中央変位線,中央裂線などとも呼ぶ。
→日本列島
執筆者:寺岡 易司
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(斎藤靖二 神奈川県立生命の星・地球博物館館長 / 2007年)
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