精選版 日本国語大辞典 「五井蘭洲」の意味・読み・例文・類語
ごい‐らんしゅう【五井蘭洲】
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江戸中期の儒者。名は純禎、字(あざな)は子祥(ししょう)、通称は藤九郎。蘭洲は号。別名は冽庵(れつあん)、梅塢(ばいお)など。大坂町人で朱子学者であった持軒(じけん)(1641―1721)の子として、元禄(げんろく)10年に生まれる。父について朱子学、国学を学ぶ。1724年(享保9)懐徳堂(かいとくどう)が大坂尼崎(あまがさき)町(大阪市中央区今橋)に創設され、1726年幕府免許の学問所になると、蘭洲はその助教に選ばれた。1731年弘前(ひろさき)藩儒となるが、1739年(元文4)辞任して大坂に帰り、懐徳堂助教に復帰、のち教授。終生、懐徳堂の基盤確立に尽力した。宝暦(ほうれき)12年3月17日没、66歳。大坂上本町(うえほんまち)(大阪市天王寺区上本町)の浄土宗寰公山(かんこうざん)実相寺(じっそうじ)に葬られる。蘭洲は朱子学を重んじたが固執せず、しばしば独自の見解をたて、国学上でも考証的な業績を残した。徂徠(そらい)学派に対しては一貫して批判的態度をとった。著書に『古今通(ここんつう)』(1752〜1754ころ)『左伝蓄疑(さでんちくぎ)』『瑣語(さご)』(1767)『非物篇(へん)』(1766成立)『蘭洲先生遺稿』などがある。
[三宅正彦 2016年5月19日]
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