科学的研究において、ある学説を論理的に構成する命題の一つ(またはその一部)であって、その命題(または命題群)が客観的真理であることを積極的に仮定して学説の帰結を導こうとする場合に、この命題を仮説という。仮説の真偽は、この仮説を含む学説の(一つまたは多くの)帰結を、実験や観察などの経験と比べることによって検証されねばならない。検証がまったく、またはほとんど不可能ならば、その命題は仮説ではなく単なる憶説にとどまる。ニュートンが「われは仮説をつくらず」といったと伝えられるのも、このような憶説をさすのであろう。
論文や著作として発表される学説の個々の形式のなかでの仮説的命題の役割には多くの異なる場合がみられる。仮説の簡潔な提起にとどまる場合、仮説があたかも論文全体の考察からの帰結のように示される場合などである。また、物理的科学の範囲に限っても、仮説の性格にはさまざまのものがある。たとえば、特定の物質の存在に関するもの(ドルトンの「原子」、パウリの「ニュートリノ」、湯川秀樹の「中間子」など)、物質の性質や機能に関するもの(アインシュタインの「光量子」、ド・ブローイの「物質波」など)、運動の法則性に関するもの(ボーアの「原子内電子の定常状態」、ディラックの「電子の相対論的運動方程式」など)はいずれもよく知られた仮説であり、実験的検証によって真理として確立したものである。
しかし、既知の真理や法則も、未知の領域に対する妥当性に関してはすべて仮説であって、この意味では「あらゆる科学は仮説である」とさえいいうる。仮説は、既知の経験的真理や概念によりつつ、新しい命題や新しい概念を積極的に生み出すものであるから、仮説の提起は科学的研究のなかで、もっとも創造的な営みの一つであるといえよう。なお類似語「仮設」(postulate)が推論の前提として設定された命題について用いられる場合がある。
[牧 二郎]
『梶川輝明著『仮説と物理』(2000・文芸社)』▽『N・R・ハンソン著、村上陽一郎訳『科学的発見のパターン』(講談社学術文庫)』
事象や法則について説明するために仮に設定された説のこと。しかし仮説は,それまで知られていなかった事象や法則をも説明できるとわかれば,一般には,それは確かなものとみなされるようになり,〈法則〉とか〈理論〉といわれるようになる。したがって仮説とは,十分に確かめられる前の法則ないしは理論の姿である,とも言える。しかし,いかに十分に確かめられた法則や理論も,いつかはそれらでは説明しきれない事象や法則に遭遇して反証されてしまい,新しい理論にとって代わられる可能性がある。それゆえその意味では,いかなる法則や理論も,結局は,仮説にすぎないわけである。ニュートンは〈われ仮説を作らず〉と言ったが,それは主として,事象をうまく説明できないデカルト流の仮説に対してであり,仮説一般についてではない。そもそも科学は,仮説なしには一歩も前進できないのである。ところで事象や法則を説明するためには,当の仮説以外に,幾つかのそれとは別の仮説が補助的に用いられねばならない。そのような仮説は〈補助仮説〉といわれる。またある仮説が,それによっては説明できない事象や法則に遭遇したとき,その局面を乗りきるために,新しい仮説が導入されることがある。このようなとき導入される仮説を〈アド・ホックad hocな仮説〉という。それは,〈とくにこのための仮説〉という意味である。なお,研究の初期の段階で,調査や実験やデータの整理などのよりどころとして,とにかくある仮説を立ててみよう,という場合がある。そのようなとき,その仮説は〈作業仮説〉と呼ばれる。
執筆者:黒崎 宏
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