デジタル大辞泉
「奴国」の意味・読み・例文・類語
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奴国 (なこく)
3世紀の倭国の中の一国の名。《魏志倭人伝》にみえる。同書には,伊都(いと)国につづいて〈東南,奴国に至る百里。官を兕馬觚(しまこ)と曰い,副を卑奴母離(ひなもり)と曰う。二万余戸有り〉とみえる。奴国は後の儺県(なのあがた)(福岡市博多区)の地。《後漢書》倭伝にも〈建武中元二年,倭の奴国,奉貢朝賀す。……光武賜うに印綬を以てす〉とみえ,57年(建武中元2)に後漢に朝貢したことが知られる。光武帝の賜った印が〈漢委奴国王〉の金印で現存。
→倭奴国王印
執筆者:佐伯 有清
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奴国
なのくに
『魏志倭人伝』にみえる国名。「なこく」「ぬこく」とも読む。倭人伝では朝鮮から邪馬台国への行程が示され,対馬,壱岐の島を経て北九州へ上陸したところが「末盧国」 (のちの筑前国松浦郡) ,次が「伊都国」 (同怡土郡にあたる) ,次が「奴国」である。『日本書紀』仲哀天皇8年の条には「儺県 (なのあがた) 」,宣化天皇1年の条には「那津 (なのつ) 」がみえ,現在の福岡県博多地方と推定される。さらに倭人伝では,ここには二万余戸の家があり,「シマコ」「ヒナモリ」と称する官があったことが記されている。後漢の光武帝が 57年に倭王に授けた「漢委奴国王 (かんのわのなのこくおう) 」の印文のある金印が博多湾の志賀島から発見されている。ただこの金印についてはかなり疑問がもたれている。
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奴国
なこく
「魏志倭人伝」にみえる倭の一国。伊都(いと)国の東南100里の地にあり,官を兕馬觚(しまこ)といい,副官は邪馬台国(やまたいこく)から派遣された卑奴母離(ひなもり)といった。「後漢書」には,倭の奴国が57年遣使朝貢し,後漢の光武帝から印綬を与えられたとある。博多湾頭の福岡市志賀(しか)島から出土した金印は,そのとき与えられた印であろう。「日本書紀」にみえる那津(なのつ)はその遺跡。福岡市付近に存在した国で,春日市の須玖(すく)岡本遺跡は奴国に関連した遺跡とみられる。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
奴国
なこく
『後漢書』東夷伝にみえる倭の一小国家
紀元前後,博多湾付近にあった。57年,後漢の光武帝が国王に印綬を与えたが,江戸時代に博多湾内の志賀島 (しかのしま) で発見された「漢委奴国王」の金印がそれだとされる。『魏志』倭人伝によると3世紀前半邪馬台国に服属していた。
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