出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
熊本県中西部の市。2005年1月小川(おがわ),不知火(しらぬひ),豊野(とよの),松橋(まつばせ),三角(みすみ)の5町が合体して成立した。人口6万1878(2010)。
宇城市南東端の旧町。旧下益城(しもましき)郡所属。人口1万3808(2000)。北西部は八代海に臨む不知火干拓地で,東部は九州山地の西縁にあたる標高300m前後の山々からなり,西部には砂川の沖積地と干拓地が開ける。中心集落の小川は,砂川右岸の谷口集落で,江戸時代は薩摩街道の宿場として栄えた。関所や会所が置かれ,五家荘方面との取引の中心地でもあった。農業が基幹産業で,米のほか,イグサやメロン,ショウガの栽培が盛ん。縫製,食品などの工場もある。海東の塔福寺は文永・弘安の役で活躍した鎌倉時代の武将竹崎季長の菩提寺として建立され,重要文化財の古文書2点を有する。JR鹿児島本線,国道3号線,九州縦貫自動車道が通る。
宇城市中部の旧町。旧宇土郡所属。人口9804(2000)。宇土半島の付け根に位置し,北は宇土市に接する。北境沿いに標高400m近い山々があり,南斜面が八代海に直接落ち込む。町の東部を流れる大野川沿いに沖積地,干拓地があるほかは平地は少ない。主産業は農漁業で,丘陵斜面を利用したビワ,ブドウ,ミカンの栽培が盛ん。ほかに畜産,施設園芸も行われる。漁業は松合漁港を基地として,クルマエビ,タイなどの水揚げが多い。装飾古墳として知られる桂原(かずわら)古墳や旧暦8月1日の夜八代海上に現れる不知火(しらぬい)の観望所が設けられる永尾(えいのお)神社がある。JR鹿児島本線の松橋駅は町内にある。
宇城市北東端の旧町。旧下益城郡所属。人口5041(2000)。標高150~350mの丘陵性山地が広く分布し,北流する浜戸川沿いに小規模な沖積低地がある。古くから開けた地で,西部丘陵地には奈良~平安初期に存在した浄水寺跡があり,当時の紀年銘をもつ四つの石碑が残存する。中央の台地響ヶ原は戦国時代の古戦場で,ここから御船町へ通じる道路には薩摩街道の名が残っている。主産業は農業で,米作,畜産のほかトマト,プリンスメロンなどの栽培が行われる。北西部の山間には,コイ,フナ,ブラックバスなどの釣場として,県下でも有名な萩尾溜池があり,キャンプ場も設けられている。社会教育施設として県立豊野少年自然の家がある。
宇城市東部の旧町。旧下益城郡所属。人口2万5010(2000)。南西部は八代海に面する。北東部は丘陵地が占めるが,南西部には肥沃な沖積地,干拓地が開ける。江戸時代中期から明治半ばまでは大野川の河口港としてにぎわったが,鹿児島本線の開通によって衰退した。現在は国道3号線と218号線の分岐点にあたり,九州自動車道の松橋インターチェンジも設置されている道路交通の要衝である。農業を主産業とし,米作のほか野菜,イグサ,果樹の栽培,畜産などが盛んである。宇賀岳古墳は装飾古墳として知られる。元寇で戦功をあげたと伝えられる竹崎季長(すえなが)はこの地方を所領した御家人で,その城跡がある。
宇城市西端の旧町。旧宇土郡所属。人口1万0305(2000)。宇土半島の西端にあり,モタレノ瀬戸をはさんで八代海に浮かぶ戸馳(とばせ)島(面積7km2)を町域に含む。半島中央部を横断する山地が町域の大部分を占め,平地は少ない。1887年に熊本県の海の玄関として三角港(現,三角西港)が半島先端に開設されて以来港町として発達し,99年九州鉄道三角線(現,JR三角線)開通後は駅に近い東港(現,三角港)に中心が移った。1929年に港は重要港湾に指定され,港周辺には木材関連企業が立地している。農業ではミカン,イチゴなどの施設園芸が盛んであり,漁業では浅海漁業,クルマエビの養殖が盛ん。島原との間にフェリーが運航され(2006年廃止),別府~阿蘇~雲仙を結ぶ観光ルートの,あるいは天草と橋で結ぶ天草パールラインの中継地として,往来する観光客が多い。戸馳島には1973年橋がかけられた。沿岸は三角大矢野海辺県立自然公園に指定され,有明海沿岸には国道57号線が通じ,大田尾海水浴場がある。
執筆者:松橋 公治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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