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京都府北部,若狭湾に面する市。1954年市制。人口1万9948(2010)。若狭湾西端の宮津湾をはさんで市域が広がり,天橋立が南北に分かれた市域を結んでいる。中心市街は宮津湾の湾奥にあり,織豊期に細川氏,江戸初期に京極氏が築城して,城下町として栄えた。現在も城下町のおもかげがよく残る。西廻海運の港町としてもにぎわい,〈二度と行くまい丹後の宮津,縞の財布がからになる〉とうたわれた。藩の奨励もあって江戸時代は縮緬(ちりめん)機業が発展したが,現在はメリヤス,化学繊維などの繊維工業や水産加工業が行われる。天橋立北方,成相(なりあい)山のふもとには西国三十三所28番札所の成相寺がある。国分には丹後国分寺跡(史),大垣には丹後一宮とされた籠(この)神社があり,府中と呼ばれるこの一帯は古代丹後国府の所在地と考えられている。天橋立の南の文珠(もんじゆ)には〈九世戸(くせど)の文殊〉として信仰された智恩寺がある。海岸部の多くは若狭湾国定公園に含まれる。北近畿タンゴ鉄道宮津線,国道178号線が通じるが,市域北部の山間地域では過疎化が進む。
執筆者:浮田 典良
宮津は古代より運輸・交通の要地で,地名は平城宮跡出土木簡に〈宮津郷烏賊二斤〉とみえるのが初見。中世には長講堂領宮津荘があった。守護一色氏を下して1580年(天正8)丹後を平定した細川氏は,宮津に入り築城と城下町建設に着手した。1622年(元和8)宮津7万8200石を襲封した京極高広が本格的な工事を進め,宮津川以東に城郭と武家屋敷,以西に武家屋敷や町屋を配置して町割りを完成した。町屋は本町,魚屋町,万町,職人町,白柏(しらかせ)町,川向町の6町を幹に町組を構成した。1759年(宝暦9)入部した本庄(松平)氏時代には1町組に町名主1名,そのもとにそれぞれ10名余の組頭が設けられた。宮津藩は藩主の交替が激しく石高もさまざまであったが,1803年(享和3)には町屋家数1917軒,人数7231人(《丹後宮津誌》)で,これに武家人口約3000人とすると1万人程度の城下町であったと考えられる。港町としても栄えた文化年間(1804-18)より遊廓も許可された。陸上には領内に通じる3本の主要街道(宮津道)が発達した。
執筆者:野田 只夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…島ではミカン,花卉,牧草を栽培,乳牛,肉用牛を飼育し,沿岸の入江では真珠,ハマチ,タイ,クルマエビ,ワカメの養殖漁業が盛ん。城本(しろもと)の丘は元寇で勇名をはせた天草五人衆の一人大矢野氏の居城跡,宮津は島原の乱の総帥天草四郎時貞ゆかりの地で銅像が立つ。1966年天草五橋が開通し,宇土半島,天草上島と結ばれ,75年千束蔵々島(維和島),80年野釜島との架橋も完成し,76年本土の氷川ダム(八代郡)からの上水道が八代海を経て引かれた。…
※「宮津」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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