小橋町(読み)こばしまち

日本歴史地名大系 「小橋町」の解説

小橋町
こばしまち

[現在地名]山形市相生町あいおいちよう錦町にしきちよう

三の丸の堀の北にある六十里越街道の両側町。東は六日むいか町、北は町と四日よつか町、西はさかな町。最上義光時代には城下北部を東から西へ馬見まみさき川が流れていた。同川に架かる三橋のうち六日町の羽州街道に架かる橋をおお橋とよび、同橋の下流にある橋を小橋とよんで町名はこれにちなむ。元禄一〇年(一六九七)の屋敷家数等覚(山形故実録)によれば、百姓ひやくしよう町境より北新町境までの町の長さ三町二五間・幅三間二尺、石橋二。四日町境より小橋口門際まで一町一八間、石橋一。

小橋町
こばしちよう

[現在地名]岡山市小橋町一―二丁目・中納言町ちゆうなごんちよう

東からの山陽道が旭川にぶつかる地で、町の西出口と西隣東中島ひがしなかじま町との間に小橋が架けられていた。山陽道を挟む両側町で、東は門田かどた武家屋敷、南は国清こくせい寺、西は旭川・小橋を隔てて東中島町、北は大黒だいこく町・重臣下屋敷。寛永城下絵図には町名の記載はなく、慶安城下絵図では小橋町。文禄(一五九二―九六)頃旭川に京橋・中橋・小橋が架けられた頃から町並になり、小橋の縁辺であったから町名にしたという(吉備温故秘録)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報