峯吉川村(読み)みねよしかわむら

日本歴史地名大系 「峯吉川村」の解説

峯吉川村
みねよしかわむら

[現在地名]協和町峰吉川みねよしかわ

南北に通ずる羽州街道沿いの村。北は上淀川かみよどかわ村、東は刈和野かりわの(現西仙北町)に接する。

奥羽永慶軍記」に、小野寺氏が支郷高寺たかでら刈和野の間に陣を張ったことや、高寺の観世音に参詣したことなどがみえる。高寺観音寺の縁起などから中世には村落の存在が推定される。

正保四年(一六四七)の出羽一国絵図では九八八石とあり、ほかに峰吉川村のうちとして中井なかい村やさわ村がある。宝永二年(一七〇五)の仙北郡村々御黒印高帳(秋田県庁蔵)では、本田高九三三石余、新田高一六六石余で高の合計一千一〇〇石余(当高一千六二石余)である。「六郡郡邑記」によれば、享保(一七一六―三六)頃の家数は一〇九軒、うち寺二軒、山伏一軒となっており、支郷として湯野沢ゆのさわ村三一軒、小平こだいら村、なか村、芦沢あしざわ村四軒、高寺村二軒、前沢まえざわ村四軒があった。寛政六年(一七九四)の六郡惣高村附帳によれば、当高八八〇石余でうち蔵分二一石余、給分八五九石余とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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