朝日日本歴史人物事典 「島津源蔵(初代)」の解説
島津源蔵(初代)
生年:天保10.5.15(1839.6.25)
明治時代の実業家。島津製作所の創立者。仏具職人清兵衛の次男として京都に生まれる。家業に従事したのち,独立して明治8(1875)年3月京都木屋町二条で理化学器械製造を開業。京都舎密局のドイツ人技師ワグナーやオランダ人薬学士ヘールツから西洋の科学技術に関して指導を受ける。京都府知事槙村正直の依頼により水素ガス軽気球を製作,11年5月京都御所御苑内にて勧業博覧会の呼びものとして人を乗せたその飛揚に成功。14年第2回内国勧業博覧会に蒸溜器,排気機,マグデブルグ半球など各種機器を出品,蒸溜器について有功2等賞を受賞。15年にはわが国における最初の理化学器械カタログともいうべき「理化器械目録表」を発刊,巻末に「御好次第何品ニテモ製造仕候也」と記した。19年7月『理化学的工芸雑誌』を創刊,理化学会を設けて公開実験,分析依頼に応じるなど科学技術の振興,普及に努め,同年9月からは京都師範学校(京都教育大)金工科の指導を嘱託され教職に就く。17年に15歳でウイムシャースト式感応起電機を完成させるなど,若くして発明の才を発揮した長男梅治郎(1869~1951)が初代の死後2代源蔵を襲名,所主となる。<参考文献>『島津製作所史』『科学とともに100年―島津製作所の歩み』
(沢井実)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報