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弁長【べんちょう】
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朝日日本歴史人物事典の解説-
生年:
応保2.5.6 (1162.6.20)
没年: 暦仁1.閏2.29 (1238.4.15)
平安・鎌倉時代の僧で浄土宗鎮西派の2祖。聖光房ともいう。筑前国遠賀郡香月荘(福岡県北九州市)に生まれる。筑紫観世音寺で登壇受戒する。白巌寺の唯心,明星寺の 常寂 について天台を学ぶ。寿永2(1183)年に比叡山に登って,東塔南谷の観叡,のち東谷の宝地房証真に師事して天台宗を学ぶ。建久1(1190)年郷里の筑前国に戻り,油山の学頭になるが,弟の三明房の死に遭い世の無常を感じ,浄土教に傾倒する。同8年に明星寺三重塔に安置する本尊を注文のため上洛した折に法然の門下に入る。翌年に『選択集』の付属を受けた。法然の命で伊予国(愛媛県)に勧化に行くが,再び法然のもとで専修念仏を学ぶ。元久1(1204)年再び筑前国に帰り,後半生を筑前,筑後,肥後(熊本県)などでの念仏宗の布教に費やした。建暦2(1212)年に善導の逮夜と法然の77日逮夜に当たる3月13日に彦山の般舟三昧道場で追善のため別時念仏を行ったときに,霊夢を感じたため,善導の像を博多に迎えて,100日間の説教教化を行った。草野氏の援助によって筑後国三井郡本郷(福岡県久留米市)に善導寺を創建する。安貞2(1228)年に肥後国の往生院で48日間の別時念仏を行った。門弟のひとりの宗円を宋に遣わし,善導の弥陀義を求めさせた。法然の没後に京都の門弟の間の異義紛々たる状況を嘆いて,自ら正当意識を強め,『末代念仏授手印』を選述し,北九州に多くの念仏道場を建立し,良忠 ら門下を育てた。<著作>『徹選択集』『浄土宗要集』『臨終用心鈔』<参考文献>坂田良弘『鎮西聖光上人の教学』
(林淳)
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世界大百科事典 第2版の解説-
べんちょう【弁長】
1162‐1238(応保2‐暦仁1)
鎌倉前期の浄土宗の僧。鎮西派の祖。聖光(しようこう)房,弁阿と号す。筑前国遠賀郡香月荘(現,福岡県北九州市)の人。1183年(寿永2)比叡山にのぼり,証真について天台学を修め,90年(建久1)帰郷した。かつて学んだ明星寺の三重塔の再建をはかり,97年塔に安置する仏像をもとめて上洛,短期間の滞在であったが,この間に法然から教えを受けた。99年(正治1)再び上洛し,1204年(元久1)まで法然に師事した。・・・
▼弁長について記述のある項目
浄土宗【じょうどしゅう】
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説-
弁長 べんちょう
 
1162-1238 鎌倉時代の僧。
応保2年5月6日生まれ。浄土宗鎮西(ちんぜい)派の祖。比叡(ひえい)山で証真に師事して天台をまなぶ。のち法然の門にはいり,念仏の教えを継承した。元久元年郷里の筑前(ちくぜん)(福岡県)にもどり,筑後(ちくご)(福岡県)に善導寺をひらいて念仏布教の拠点とした。嘉禎(かてい)4年閏(うるう)2月29日死去。77歳。俗姓は古川。字(あざな)は弁阿。通称は鎮西上人,筑紫上人,二祖上人。号は聖光(しょうこう)房。著作に「末代念仏授手印」など。
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。収録人物のデータは2009年1月20日現在のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
百科事典マイペディアの解説-
鎌倉時代の僧。字は弁阿(べんあ),号は聖光(しょうこう)房。浄土宗鎮西(ちんぜい)流の祖。筑前(ちくぜん)の人。初め天台を比叡(ひえい)山の証真(しょうしん),禅を大日能忍に学んだが,のち法然(ほうねん)の弟子となり,浄土教学をきわめ,筑前に善導(ぜんどう)寺など多くの寺院を開いて,良忠(りょうちゅう)など多くの弟子を教育した。
(1162-1238)
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デジタル大辞泉の解説-
べんちょう 〔ベンチヤウ〕 【弁長/辨長】
[1162~1238]鎌倉前期の浄土宗の僧。浄土宗鎮西派の祖。筑前の人。字(あざな)は弁阿。号、聖光坊。比叡山で天台宗を学ぶ。のち、法然の弟子となり、九州に念仏を広めた。鎮西上人。
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大辞林 第三版の解説-
べんちょう【弁長】
(1162~1238) 鎌倉初期の浄土宗の僧。字(あざな)は弁阿,号は聖光房。筑前の生まれ。浄土宗第二祖。鎮西派の祖。はじめ比叡山で天台教学を学び,のち法然の弟子となる。九州で念仏を広めた。鎮西上人。著「浄土宗要集」「徹選択念仏集」など。
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弁長に近い言葉→聖光房弁長
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