政令201号(読み)せいれいにひゃくいちごう

改訂新版 世界大百科事典 「政令201号」の意味・わかりやすい解説

政令201号 (せいれいにひゃくいちごう)

正式には〈昭和23年7月22日付内閣総理大臣宛連合国最高司令官書簡に基く臨時措置に関する政令〉といい,ポツダム政令の一つ。1948年7月22日,連合国軍最高司令官マッカーサーは芦田均首相に書簡を送り,公務員の争議行為禁止を示唆した。これを命令と受けとった芦田内閣は,7月31日に政令201号を公布し,とりあえず,すべての公務員の争議行為を禁止し,団体交渉権を厳しく制限した。3月闘争全逓三月闘争)後,再び盛り上がろうとしていた官公労の労働運動は,これによって争議権を奪われてしまった。憤激した国鉄・全逓労働者の間では,国労旭川支部新得(しんとく)機関区分会の〈民族独立柚原(ゆはら)青年行動隊〉の結成皮切りに,自然発生的な職場離脱闘争が全国にひろまった。しかし,この闘争は戦術として有効でなく,これに代わる戦術も組合指導部により提起されなかったため,闘争はしりすぼみに終わった。同年暮れ,政令201号は,国家公務員法(国公法)改定公共企業体労働関係法(公労法。1952年の改正で公共企業体等労働関係法に名称変更)制定によって,国内法化された。両法により,従来国家公務員のうち,国鉄と専売職員は新設された公共企業体の職員として公労法のもとにおかれ,国公法はその他国家公務員に適用されることになった。両法はいずれも争議行為を禁止し,以後今日にいたるまで,官公労働者の争議行為禁止の法的枠組みは基本的に変わっていない(なお公労法は,1986年国営企業労働関係法改称)。なお,マッカーサー書簡と政令201号に対しては,アメリカ本国など連合国側本国では,少なくない批判の声があった。
公務員
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百科事典マイペディア 「政令201号」の意味・わかりやすい解説

政令201号【せいれいにひゃくいちごう】

1948年芦田均首相あてのマッカーサー書簡に基づいて発せられた政令。占領軍の戦後民主化政策の転換に対応して,従来憲法によって労働三権を保障されていた公務員労働者から団結権のみを残し,団体交渉権争議権を奪った。1952年失効したが,その実体は国家公務員法公共企業体等労働関係法が継承。
→関連項目芦田均内閣日本官公庁労働組合協議会

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「政令201号」の解説

政令201号
せいれいにひゃくいちごう

国家公務員・地方公共団体員の団体交渉権・争議権を否定したポツダム政令。芦田内閣がGHQの指令にもとづいて1948年(昭和23)7月31日公布,即日施行され,高揚していた労働運動は打撃をうけた。正式名称は「昭和23年7月22日付内閣総理大臣宛連合国最高司令官書簡に基づく臨時措置に関する政令」。52年10月25日に失効するが,48年11月制定の国家公務員法,50年12月の地方公務員法にひきつがれた。

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世界大百科事典(旧版)内の政令201号の言及

【公務員】より

…しかし国家公務員法は,公布後9ヵ月経ってようやく実施されたが,その3週間後には,全官公労組の闘争が激化して,争議に突入する形勢を示すに至った。そこでアメリカ占領軍の最高司令官は,いわゆるマッカーサー書簡を発し,これをうけて芦田内閣は1948年7月,政令201号によって公務員の争議行為と労働協約の締結を目的とする団体交渉を全面的に否定し,従来の労働協約を無効とした。またそれに引き続き,改正国家公務員法が国会の十分な審議を経ることなく48年に成立した。…

【スト権奪還闘争】より

…1945年制定の労働組合法では公務員にも争議権が認められていたが,以下にのべる経過で争議行為は禁止されるに至った。1948年7月マッカーサー書簡にもとづいて発せられた政令201号は,現業を含むすべての公務員の争議行為を禁止し,続いて同年12月改正施行された国家公務員法は,職員団体の結成は認めたが,その構成員を職員に限定し,団体交渉権を制限し,かつ争議行為を全面一律に禁止し,その〈遂行を共謀し,そそのかし,もしくはあおり,又はこれらの行為を企てた者〉に刑罰を科することとした(1951年2月施行の地方公務員法も同様の措置を講じた)。そして,この代償措置として人事院・人事委員会の給与勧告制度,身分保障その他を設けた。…

【労働運動】より

…すなわち,産別会議のなかに生まれた民主化同盟が総同盟勢力と連合して〈民同〉を構成し(民同運動),占領軍の支援のもとに産別会議に対抗しながら勢力を拡大し,新しいナショナル・センターの結成へと向かっていった。しかも,この間,冷戦体制の形成に即応する占領政策の転換にともなって,1948年7月マッカーサー書簡に基づく政令201号によって官公労働者の争議権が剝奪(はくだつ)されたのに続いて,翌49年6月には〈自主的民主的労働組合〉〈民主的労働関係〉の育成をうたい文句として新たな労働組合法が制定され,敗戦直後の運動の高揚過程で労働組合が築いた組合規制を切り崩していく橋頭堡がつくられていった。 このような制度的改変をてことして,48年の暮れ以降ドッジ・ラインに基づく行政整理,企業整備を通じて日本経済の資本主義的再建が急ピッチで推し進められていったが,労働組合はこの合理化政策に対して有効な抵抗を組みえなかった。…

※「政令201号」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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