翻訳|civilization
→「ぶんか(文化)」の語誌
文明の語civilizationがラテン語の市民civisや都市civitasに由来するように,とくに都市の文化をさすことが多いが,19世紀の末に〈文化〉を最初に定義したE.B.タイラーは,〈文明〉と〈文化〉を同一視している。プラトン,アリストテレス,T.ホッブズなどは〈文明〉と〈社会〉を同一視し,文明以前を無秩序な状態(自然状態)と考えた。ところが自然状態と呼ばれるような無秩序な世界は,いわゆる未開社会をも含めて人間社会のいずこにも存在しないことが明らかになり,この考えはくずれた。
古代諸文明はいくつかの地域で,時期を異にして発生したことが明らかになっている。メソポタミアとエジプトで前3500-前3000年ごろ,インダス川流域で前2500年ごろ,中国では前1500年ごろにそれぞれ文明が形成され,新大陸ではメキシコ渓谷とペルーで紀元前後に文明が生まれた。新大陸の文明は,旧大陸の文明とは独立に誕生したことも明らかにされている。古代文明が生まれたこれらの地域を通じて,農耕の発展にともなう人口増加,富の蓄積,職業分化,都市の形成,水力統制,土器・織物の製作などがみられる。
文明の発展に対して都市の果たした役割は大きい。V.G.チャイルドは都市が文明の基本的な要素であることを力説し,新石器時代の農耕文化から文明への推移を〈都市革命〉と呼んだ。そして,都市は文明を表示するだけでなく文明をつくりだすものだという考え方が生まれた。しかし,例えばメソアメリカの低地に栄えたオルメカ文化(前800ころ-前300ころ)の中心は,都市というよりも祭祀センターというべきであるし,オルメカ文化とほぼ同じころに形成された南アメリカのチャビン文化でも都市の発達はむしろ弱い。したがって文明と〈都市性urbanism〉を単純に同一視するのは必ずしも適切であるとはいえない。しかし,両者がたいへん密接な関係にあることはいうまでもない。
文明の形成にともなって都市が発展すると,自然の与える脅威から解放されて生活がより快適になっていくが,他方,自然の破壊もまた進まざるをえない。古代都市の中には人口1万から2万に達するものもあったといわれるが,下って,例えば16世紀における西ヨーロッパの都市はそれほど大規模になっているわけではなく,2000から2万程度の人口であった。17世紀になってやっと10万人以上の都市が現れる。古代文明においても都市は,貯蔵,灌漑などによって自然による災害の多くを免れることはできたが,都市の生活は身体的・精神的健康に不適当な要素をもたらすことにもなった。交易,採鉱,軍事活動,城壁・道路・水道・下水の建設,神殿などの壮大な建築などを通じて,古代都市は環境の破壊・変形を大規模に行うようになり,その歩みは方向としては現代の都市の姿に向かっている。古代ローマの下水道は公衆便所に直結し,ティベル川を汚濁させた。都市化が進むほど,自然の与える脅威から解放されるようになるが,また環境の破壊も激しいものにならざるをえない。これは確かに文明の発展,都市化に含まれる深刻なジレンマであった。
こういう文明化・都市化にともなう自然の破壊は,19世紀になって以前とは比較にならないほど激しくなった。科学や技術の進歩にともなう機械化の進展,産業革命以後の大量生産の実現,大工場の建設によって環境破壊はいっそう進んだからである。石炭の使用,鋼鉄製造,化学工場は大気や河川をいっそう汚染させてきた。このように文明そのものは自然の克服の過程で発達したが,その文明の発達は,結局人類の生存を脅かすような自然の破壊・変形を促すことになった。こういう矛盾は小規模ながら古代都市においてもすでに現れていたが,それは現代において極端な形で現れてきたのである。
→都市 →文化
執筆者:吉田 禎吾
現代文明といえば,なによりも技術文明が想起される。この場合の文明概念には二つのものが合流していよう。一つはドイツ系の文化社会学者,とくにA.ウェーバーの示した文化に対する文明概念であり,文明とは無限に進歩していくと考えられていた技術的な諸手段の総体を意味している。もう一つは民族文化に対する世界文化ともいうべきもので,文化がたいていの場合民族や言語や伝統と結びついていて,国境を越えていくことがないのに対し,文明は民族や国家を超えて普及していくものをさす。このように国境を越えて広まるものをM.モースは〈文明事象fait de civilisation〉と呼んでいる。
現代文明は,科学技術の生み出した機械,コンピューター・システムが人間生活のあらゆる領域に浸透し,そこに広範かつ濃密なネットワークをつくりあげ,〈技術環境〉とでも名づけられうる新しい人間環境をつくりあげていることで,過去の文明とは区別される。この技術環境は,工場や企業における科学的管理法,流れ作業による大量生産,マス・メディア,活発な宣伝広告,大量消費とマス・レジャーなどの〈文明事象〉の集合であり,産業化された諸国の間で国境を越えてみられるだけでなく,東西の体制の相違を超えて共通している。それゆえ,技術文明は普遍主義的であって,世界を一体化しつつある。
技術文明は〈文明事象〉を集積していくことによって,人類の福祉を実現するための手段をすでにつくりだした。しかし,ベルグソン以来多くの思想家たちにより論じられているように,現代文明は人間の身体を人工的に拡張していった身体であって,魂を欠いた存在であるようにみえる。文明の概念はフランスの百科全書派やボルテールらによって,進歩の観念にもとづく啓蒙として,精神的・人間的な自覚を含むものとして提出されたが,現代文明の問題を考える場合,技術的手段の総計としての文明と国境を越える〈文明事象〉にくわえ,この側面もあわせ考えられるべきであろう。
執筆者:杉山 光信
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
日本では明治初年、「文明」と「開化」ということばがほぼ並行して使われ始め、二つをあわせた文明開化は近代化・西欧化のスローガンとされた。両語とも、ラテン語のcivis(市民)やcivilis(市民の)、およびcivitas(都市)に由来するcivilizationの訳語である。明治中期から大正にかけて、文明開化から開化が除かれて文明になり、これと前後して、今日使用されている意味での文化cultureも広く使われるようになった。
文明と文化ということばの使い方には二つの流れがある。第一は、文明と文化は連続したものであり、都市化、高度の技術、社会の分化、階層の分化を伴う文化を文明とする。各文化、各文明はそれぞれ独自な個別性と独自性をもちつつ地球上に多元的に存在し、地球上の部族文化は大勢として前近代的都市文明へ、さらに近代的都市文明へ移行したとされる。この考え方は、第二次世界大戦後に文化人類学が普及するにつれて日本でも一般化した。他方、第二は、戦前から日本に普及している考え方である。これは、文明と文化を連続したものではなく、かえって対立したものとしてとらえ、精神的所産を文化、物質的所産を文明とする。西欧では、古くからcivilizationが今日の「文明」と「文化」の両方をさしていたが、19世紀後半、ドイツの民族学者とイギリスの人類学者が第一の用法を提示して以来、人類学者の多くは第二の用法を避けている。第二の用法は、ドイツの哲学、とくに新カント学派の影響を強く受けている。これは、物質的・技術的文明が累積され発展するのに対して、精神的・価値的な文化は1回限りのものであり、進歩という尺度によっては測れないとする。
これらの流れとはやや違う視点から、18世紀のフランス啓蒙(けいもう)学派のように、封建制・王制の段階に続くのが文明の段階、すなわち市民社会の段階であるとか、アメリカのモルガンのように、蒙昧(もうまい)savagery、野蛮barbarismを経て文明civilizationに至るという主張もある。このように文明を発展段階の一区分とする考え方は、今日では否定されている社会進化論に基づくものである。他方、第二の用法は、日本語として多用されている物質文明と精神文化ということばのなかに、いまなお根強く残されている。
最近まで、単線的系列として、ほぼ発展段階として提示されてきた世界史のいくつかの図式(たとえば、オリエント文明→ギリシア文明→ローマ地中海文明→西欧文明)は、西欧中心の世界史観であるが、これを広く思想的に転換するきっかけを与えたのはシュペングラーである。彼は、非西欧地域を含む世界の八つの高度文化(エジプト、バビロニア、インド、中国、ギリシア・ローマ、アラビア、メキシコ、西欧)をあげ、それぞれが独自の有機体として、誕生→成長→衰亡→死の過程を経ており、最後の段階が「文明」であるとし、西欧文化はそうした「文明」に達して創造力を失ったとして、比喩(ひゆ)的に「西洋の没落」を唱えた。この哲学を経験科学的に継承・発展させたのがトインビーである。彼は、国家よりは大きく全世界より小さい中間的な範囲に文明をみいだし、21の文明を設定する。各文明は、発生→成長→挫折(ざせつ)→解体の四段階のどれかを経過すると同時に、「親子関係」のように互いに結ばれているとする。確かにそこには、「親子関係」をはじめとする諸概念のあいまいさと資料操作の不十分さがある。それにもかかわらず、「国民国家」中心・西欧中心の歴史観を超えて、時間・空間の大きな枠組みとしての文明を提示した点で、歴史学者や文化人類学者を触発した。20世紀後半から21世紀にかけて世界規模の急激な大変貌(へんぼう)が進んでおり、文明を解明する意義は非常に大きくなっている。文明の究明がようやく本格的に始められたといってよいだろう。
[鈴木二郎]
『山口昌男編『現代人の思想15 未開と文明』(1969・平凡社)』▽『A・L・クローバー著、松園万亀雄訳『文明の歴史像――人類学者の視点』(1971・社会思想社)』▽『トインビー著、長谷川松治訳『歴史の研究』全3巻(1975・社会思想社)』▽『伊藤俊太郎著『比較文明』(1985・東京大学出版会)』▽『梅原猛編『講座文明と環境 第11巻――環境危機と現代文明』(1996・朝倉書店)』▽『村上陽一郎著『文明の死/文化の再生』(2006・岩波書店)』▽『安丸良夫著『文明化の経験――近代転換期の日本』(2007・岩波書店)』▽『梅棹忠夫著『文明の生態史観』(中公文庫)』
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