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斎藤素巌
さいとうそがん
[生]1889.10.16. 東京
[没]1974.2.2. 東京
彫刻家。本名は知雄。 1912年東京美術学校西洋画科を卒業。 13年からロンドンのロイヤル・アカデミーに学んで彫刻に転じた。 15年帰国後,第 11回文展に『秋』 (1917) ,次回に『敗残』 (18) ,第1回帝展に『朝暾』 (19) を出品。 26年に日名子実三と構造社を創立して 27年より展覧会を開催,『相』 (27) ,『タイス』 (30) ,『豊穣』 (39) などを出品した。 35年帝国美術院会員,37年帝国芸術院会員。第2次世界大戦後は日展に作品を発表。浮彫の大作が得意で典雅な作風を示す。 47年日本芸術院会員。
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斎藤素巌 さいとう-そがん
1889-1974 大正-昭和時代の彫刻家。
明治22年10月16日生まれ。イギリスのロイヤル-アカデミーで彫刻をまなぶ。大正7年「敗残」が文展で特選。15年日名子実三(ひなこ-じつぞう)らと構造社を結成,彫刻と建築の融合を主張した。戦後は日展に作品を発表した。芸術院会員。昭和49年2月2日死去。84歳。東京出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。本名は知雄。
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世界大百科事典(旧版)内の斎藤素巌の言及
【明治・大正時代美術】より
…浅野孟府(もうふ)がアクション展にアルキペンコの影響を受けた作品を出品し,また三科展には,ダダのオブジェ風の作品が現れたが,試みを超える展開を見せるまでには至らなかった。26年斎藤素巌(そがん)(1889‐1974),日名子実三(ひなこじつぞう)(1893‐1945)らは,建築と彫刻の結びつきを主張して構造社を結成する。また同年,国画創作協会に彫刻が加わったとき,ブールデルに学んで帰国した金子九平次(くへいじ)(1895‐1968)が中心となったが,28年に同会が国画会に改組すると,高村光太郎,清水多嘉示(たかし)(1897‐1981),高田博厚(ひろあつ)(1900‐87)らが加わった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」