日本大百科全書(ニッポニカ) 「斎藤素巌」の意味・わかりやすい解説
斎藤素巌
さいとうそがん
(1889―1974)
彫刻家。東京生まれ。本名知雄。1912年(明治45)東京美術学校西洋画科を卒業。翌年渡英しロンドンのロイヤル・アカデミーで彫刻を学び15年(大正4)に帰国、17年第11回文展に『秋』が初入選、翌年『敗戦』が特選となり、19年第1回帝展には『朝暾(ちょうとん)』を無鑑査出品した。26年日名子実三(ひなこじつぞう)らと美術団体「構造社」を結成、毎年展覧会を開き、そのテーマとしてしばしば建築と彫刻の融合を試みた。35年(昭和10)帝国美術院会員。44年構造社を解散し、第二次世界大戦後は日展を発表の場とした。ほかに『タイス』(1930)、『豊穣(ほうじょう)』(1938)などの代表作がある。
[三木多聞]