東北(読み)トウボク

デジタル大辞泉 「東北」の意味・読み・例文・類語

とうぼく【東北】

謡曲。三番目物。旅僧が都の東北院で梅を眺めていると、昔この梅を植えてめでていた和泉式部の霊が現れ、当時のようすを語る。

とう‐ほく【東北】

《古くは「とうぼく」か》東と北との中間の方角。北東。うしとら。
東北地方」の略。

トンペー【東北】

《「東北」の中国語読み》東北大学の俗称。

ひがし‐きた【東北】

東と北との中間の方角。とうほく。

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精選版 日本国語大辞典 「東北」の意味・読み・例文・類語

とう‐ほく【東北】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙 ( 古くは「とうぼく」か ) 東と北との中間の方角。ひがしきた。北東。うしとらの方。また、東と北。
    1. [初出の実例]「偏憑延喜開无暦、東北廻頭拝斗杓」(出典:菅家後集(903頃)元年立春)
    2. [その他の文献]〔易経‐説卦〕
  2. [ 2 ]
    1. [ 一 ] 東北地方の通称。
      1. [初出の実例]「東北、宮城岩手青森諸県、大海嘯の惨状を想像しつつ」(出典:東西南北(1896)〈与謝野鉄幹〉自序)
    2. [ 二 ]とうぼく(東北)

とうぼく【東北】

  1. 謡曲。三番目物。各流。作者不詳。古名「軒端梅」。東国の僧が都の東北院で梅をながめていると、里の女が来て、この梅はむかし和泉式部が軒端の梅と名づけてながめた木であるといわれを語り、自分はその梅の主だと告げて姿を消す。その夜、僧の夢の中に和泉式部が現われ、むかし御堂関白がこの門前を通ったとき和歌を詠んだことや和歌の功徳を語って舞をまう。

ひがし‐きた【東北】

  1. 〘 名詞 〙 東と北との中間の方角。とうほく。
    1. [初出の実例]「ひがし北の家陰(やかげ)に」(出典:浮世草子好色一代男(1682)一)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「東北」の意味・わかりやすい解説

東北(中国)
とうほく / トンペイ

中国北東部の地区名。遼寧(りょうねい/リヤオニン)、吉林(きつりん/チーリン)、黒竜江の3省からなる。北は黒竜江、東はウスリー川でロシアと、南東は豆満(とまん)江(中国名図們(ともん)江)および鴨緑(おうりょく)江を隔てて北朝鮮と境を接している。南は遼東(りょうとう/リヤオトン)半島が突出し、その東は黄海、西は渤海(ぼっかい)に属する遼東湾に面する。西は内モンゴル自治区および河北省と接する。面積78万7900平方キロメートル、人口約1億0655万(2000)、人口密度1平方キロメートル当り135人。

 1949年から54年までは大行政区として東北行政区があり、遼東、遼西、吉林、黒竜江、熱河(ねっか)、松江の6省と瀋陽(しんよう/シェンヤン)、鞍山(あんざん/アンシャン)、本渓(ほんけい/ペンシー)、撫順(ぶじゅん/フーシュン)、旅大(りょだい/リュイター)、長春(ちょうしゅん/チャンチュン)、ハルビンの7市を管轄していた。これは現在の東北のほかに内モンゴル自治区と河北省の一部が加わっていた。清(しん)王朝を建てた満洲族の故地であるため、満州(マンチュリア)と称したこともある。清代から民国初期の北洋政府の時期には東三省(とうさんしょう)とよばれた。これは山海関の東にあることから出た呼称である。現在の東北は旧東三省の大部分を占めるが、大興安嶺(だいこうあんれい/ターシンアンリン)以西の部分は「文化大革命」期間中、一時現在の3省の行政区域に含まれたことがある。

 主要都市としては瀋陽、長春、ハルビンの省政府所在地のほか、大慶、鞍山、撫順をはじめとする鉱山都市、大連のような港湾都市があり、全部で90(2001)の市を数える。

[河野通博]

自然・地誌

地形は、西辺は大興安嶺とその東斜面にあたり、北部は黒竜江河谷の南に小興安嶺の低山性山地が横たわる。大興安嶺北部から、小興安嶺にかけては広く針葉樹林に覆われ、中国の重要な林業地域となっている。東部には長白(ちょうはく)山脈をはじめ、老爺(ろうや)嶺、張広才(ちょうこうさい)嶺、威虎(いこ)嶺などの諸山脈がほぼ平行に走る長白山地があり、その余波は千山山脈となって南西に延び、遼東半島の脊梁(せきりょう)をなす。長白山地の北と西にも前山として丘陵性山地が横たわり、いずれもチョウセンマツを主とする森林に覆われ、トラ、リス、クロテンなどの毛皮獣が生息している。ノロ、シカなども多く、薬草もチョウセンニンジンをはじめ豊富である。山間部には延吉(えんきつ/イエンチー)盆地など多くの小盆地が発達し、朝鮮族が水稲を栽培している。

 大・小興安嶺と長白山地に三方を取り囲まれて東北平原(松遼(しょうりょう)平原ともいう)が横たわる。東北平原は南の遼河水系の流域に属する遼河平原と、北の黒竜江水系の松花(しょうか)江、嫩(どん)江流域である松嫩(しょうどん)平原とに分かれ、その分水界は標高200メートルで低い。また北東部の松花江、ウスリー川と黒竜江本流との合流点付近には、三江平原とよばれる湿地性の平野がある。ここは排水の困難さと深い泥炭層が存在するために開発が遅れ、従来、北大荒(ほくたいこう)とよばれてきた荒野であったが、解放後多くの国営農場が建設され、新しい穀倉地帯への改造が目ざされている。東北平原ではコウリャン、トウモロコシ、アワ、小麦、米、大豆のほか、北部ではテンサイサトウダイコン)、亜麻(あま)、南部では綿花の産出が多い。また丹東(たんとう/タントン)付近では柞蚕(さくさん)が盛んに飼育されている。

 南部の遼東半島は丘陵性の千山山脈が海に突出しているので、沿岸はリアス海岸をなし、水産資源が豊富で、また天日製塩も盛んである。陸上ではリンゴの栽培が盛んで、全国的に有名である。

 気候は、冬季は寒さが厳しく、南端の大連(だいれん/ターリエン)でも1月の平均気温が零下5℃、北部では零下30℃前後を示す。そして冬の期間もハルビンでは8か月に及び、6か月は河川が凍結する。夏は短期間であるが高温で、大半の地域で7月の平均気温は20℃を超える。年降水量は500ミリメートル以上の地域が多い。

[河野通博]

歴史

東北地区南部では戦国時代すでに、華北地区の農民が遼陽(りょうよう)以南に移住してきているが、北部は粛慎(しゅくしん)、東胡(とうこ)、扶余(ふよ)などの諸部族の居住地で、漁猟、牧畜を営んでいた。南北朝時代には遼寧省中部以東は高句麗(こうくり)の支配する領域となり、また唐代には黒竜江省南東部の寧安を国都とする渤海(ぼっかい)が興り、唐のほか新羅(しらぎ)、日本とも国交を結んでいた。このころ中原(ちゅうげん)の文明が盛んに取り入れられ、織物、鉄製品、楽器(鼓)などの手工業も発達し、特産物の交易が行われた。唐末になると契丹(きったん)が勃興(ぼっこう)して、渤海を滅ぼし遼(りょう)を興したが、12世紀には、契丹も女真(じょしん)にとってかわられ、女真の建てた金(きん)は華北地方に進出し、その勢力下に収めた。13世紀後半にオノン川のほとりから勢力圏を拡大したモンゴルは宋(そう)と金を滅ぼして元(げん)王朝を建て、全中国を統一する大帝国となった。東北地区ではその勢力範囲は三江平原以東にまで及んだ。だが元はもともと遊牧民族であったから、農業、手工業を軽視したため、在来の経済的基盤は大きく破壊された。

 明(みん)代には東北地区の経営はほとんど行われず、わずかに鴨緑江下流部の開発がやや進んだだけであった。しかし開原などではチョウセンニンジン、毛皮、絹、工芸品などの特産物と中国の物産との取引が行われていた。明末に興起した女真の一族である満洲族はやがて全中国を統一し、清王朝を樹立した。1653年には遼東招墾令が出され、戦乱で荒廃した東北南部の開墾が奨励され、当時大干魃(かんばつ)に悩んでいた華北地区から大量の農民が移住した。しかし大量の移民の流入は満洲族の生活を脅かしたため、18世紀なかばになると東北を封禁の地として移民禁止政策がとられた。ところがロシア帝国の東進により、北方辺境地域への圧力が強まると、農業移民を東北へ移住させる必要性が痛感されるに至り、封禁は撤廃されることとなった。

 19世紀末以後ロシア帝国が鉄道を建設しつつ東北地区に進出するに及んで、東北は帝国主義列強の利権争奪の場となり、日露戦争後は東北南半部は日本の勢力圏となった。さらに1931年(昭和6)以後日本は東北全域を植民地化し、傀儡(かいらい)政権の「満州国」をつくった。清朝最後の皇帝であった宣統帝溥儀(ふぎ)を満州国皇帝に擁立したが、実質は完全な日本軍部とそれに結び付いた資本家の支配下に置かれた。またソ連(現ロシア)との国境地帯では中国農民の土地を強制買収して、そこに「満蒙(まんもう)開拓」と称して日本人の農業移民を入植させた。一方では100万と称せられる大量の軍隊を駐留させ、地下資源を開発して、製鉄所を建設するなど重工業を発展させた。日本の敗戦により「満州国」は瓦解(がかい)し東北はふたたび中国の一部となった。

 東北はその歴史的過程からみてもかつては少数民族の世界であった。今日では大量の漢族移住者の定住により、大部分は漢族からなるが、なお満洲族、モンゴル族、朝鮮族、ダフール族オロチョン族エベンキ族、ホジェン族、シボ族、回族、ロシア族、キルギス族も居住している。とくに朝鮮族は吉林省東部に延辺(えんぺん)朝鮮族自治州をつくり集団居住している。

[河野通博]

資源

東北の地下資源は、鉄、石炭、石油、油母頁岩(ゆぼけつがん)をはじめ、金、銀、銅、鉛、亜鉛、タングステン、モリブデン、ニッケル、ボーキサイトなど多種類に上っている。とくに鉄は鞍山、本渓、通化周辺に産し、石炭は鶴崗(かくこう/ホーカン)、双鴨山(そうおうざん/ショワンヤーシャン)、七台河(しちたいか/チータイホー)、鶏西(けいせい/チーシー)、阜新(ふしん/フーシン)、北票(ほくひょう/ペイピヤオ)、遼源、瀋陽、鉄法、撫順などに埋蔵され、また石油は広大な大慶油田のほか、遼河、扶余などの油田がある。包蔵水力も豊かで、鴨緑江の水豊、太平湾、老虎哨(ろうこしょう)、雲峰、松花江上流部の白山、紅石、豊満、渾江(こんこう)の桓仁(かんじん)、太平哨(たいへいしょう)など出力10万キロワット以上の水力発電所が9か所建設されている。とくに白山発電所は出力90万キロワットで東北最大を誇る。

[河野通博]

工業

これらの資源により東北は中国ではもっとも工業化の進んでいる地区の一つである。ことに鞍山製鉄所は中国最大の鉄鋼コンビナートであり、長春には国営第一自動車製造工場がある。そのほか大連の鉄道車両、造船、ハルビンの発電用タービン、チチハルの鉄道車両、吉林の化学薬品、大慶と撫順の石油化学、遼陽の合成繊維、瀋陽の重機械、牡丹江(ぼたんこう)の製紙をはじめ、錦州(きんしゅう/チンチョウ)、営口、通化など多くの工業都市が発展し、大連に外資との合弁による経済技術開発区が建設されている。

[河野通博]

交通

東北は、中国でもっとも鉄道網の密度の高い地区でもある。東北の鉄道はロシア帝国の建設した東清鉄道(現在の浜洲(ひんしゅう)、浜綏(ひんすい)両鉄道)、旧南満州鉄道(現在の哈大(こうだい)鉄道)をはじめ、日本の支配下にあったころ建設された鉄道が多いことは事実であるが、解放後建設されたものとしては、通譲(つうじょう)鉄道(通遼―大慶の譲湖路)、嫩林(どんりん)鉄道(嫩江―古蓮(これん))、伊加鉄道(伊図里河(いとりが)―加格達奇(ジャクダチ))などがある。これらの諸線のなかには、ロシアとの間に国際列車の走る浜洲、京哈(けいこう)両鉄道や朝鮮に通じる瀋丹(しんたん)、梅集、鳳上(ほうじょう)などの諸鉄道もある。ただしこの3本のなかで国際列車の走るのは瀋丹鉄道のみである。

[河野通博]


東北(町)
とうほく

青森県南東部、上北郡(かみきたぐん)の町。1963年(昭和38)甲地(かっち)村が町制施行して成立。2005年(平成17)上北郡上北町を合併。第三セクター青い森鉄道(旧、JR東北本線)、国道4号(陸羽(りくう)街道)、394号が通じ、上北自動車道の上北インターチェンジがある。野辺地(のへじ)町と七戸(しちのへ)町を結ぶ南部縦貫鉄道が通じていたが、経営難のため1997年(平成9)休止、2002年廃止された。町域は、北部・西部は山地・台地、東部は小川原(おがわら)湖に接し、水田は少なかったが、1952年から始まった北部上北大規模開拓工事により、開拓が行われ、台地上にも開田が進められた。1976年以降は「むつ小川原開発」に伴う町の総合開発構想により、農村生活環境改善事業が進んだ。小川原湖では底引、刺網などの漁業も行われる。面積326.50平方キロメートル、人口1万6428(2020)。

[横山 弘]



東北(能)
とうぼく

能の曲目。三番目・鬘(かずら)物。五流現行曲。春の闇(やみ)に漂う梅の香と、恋愛歌人として名高い和泉(いずみ)式部の王朝の艶(えん)を二重写しとし、抽象化された演技に終始する、幽玄能の原点ともされる曲目である。東国の僧(ワキ、ワキツレ)が都に着き、所の者(間(あい)狂言)に東北院の門前の梅を和泉式部という名と聞いて眺めていると、里の女(前シテ)が呼びかけて、和泉式部の愛した軒端の梅であると教え、梅の主(あるじ)は自分と告げて消える。僧の読経のうちに、式部の亡霊(後(のち)シテ)が現れ、和歌の徳と仏法をたたえ、都の春をめで、美しく舞う。シテの性格を和泉式部の霊とする脚本と、梅の精のイメージを強く演出する流儀とがある。

[増田正造]

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改訂新版 世界大百科事典 「東北」の意味・わかりやすい解説

東北[町] (とうほく)

青森県東部,上北(かみきた)郡の町。2005年3月上北町と旧東北町が合体して成立した。人口1万9106(2010)。

東北町南部の旧町。上北郡所属。人口9929(2000)。小川原(おがわら)湖南西岸,三本木原北部の台地と七戸川の沖積地からなり,三沢市,十和田市に接する。台地は古くから馬産地として知られた。第2次世界大戦後馬産は衰え,一時テンサイの栽培が盛んであったが,近年はタバコ,ナガイモの生産が多い。七戸川下流は低湿地が多く,1948-66年に菱沼,甲田沼などの国営干拓事業により開田され,栄沼などの集落が生まれた。偏東風(やませ)による冷害がしばしば生じている。小川原湖ではワカサギ,シラウオなどの内水面漁業が行われる。町内には上北温泉,池ノ端(いけのはた)温泉があり,観光開発にも力を入れている。青い森鉄道線が通る。

東北町北部の旧町。上北郡所属。人口1万0662(2000)。下北半島の基部に位置し,小川原湖西岸の洪積台地を占める。1963年の町制施行に際し,近世以来の甲地(かつち)村が東北町と改称。中心の乙供(おつとも)は1894年に東北本線乙供駅が開設されてから発展した集落である。1962年に南部縦貫鉄道が千曳(ちびき)から開通し,東北本線から七戸方面への分岐点となったが,68年の東北本線のルート変更に伴い,乗換駅は野辺地に移った(なお南部縦貫鉄道は2002年廃止,東北本線は東北新幹線の延長に伴い,青い森鉄道となった)。台地上はかつて甲地赤松で知られる国有林が大部分を占めていたが,1950年から国営北部上北大規模機械開墾が行われ,新たに24集落が生まれた。酪農が盛んで,ナガイモ,タバコなどの栽培も行われている。小川原湖ではワカサギ,シラウオ漁が行われ,農牧業に次ぐ産業となっている。
執筆者:


東北 (とうぼく)

能の曲名。三番目物鬘物(かつらもの)。作者不明。シテは和泉式部の霊。旅の僧(ワキ)が都に着き,東北院の梅を眺めていると,若い女(前ジテ)が現れ,この寺はもと中宮上東門院の御所で,そのころ仕えていた和泉式部が植えたのがこの梅だと教え,実は自分がこの花の主(あるじ)だといって姿を消す。僧が読経をしていると,和泉式部の霊(後ジテ)が生前の姿で現れ,昔,門前に車で来かかった関白藤原道長が車中で読経していた声を聞いて,〈門(かど)のほか法(のり)の車の音聞けばわれも火宅を出でにけるかな〉と詠んだことが思い出されると僧に話しかける。式部はなお和歌の徳を述べ,都の東北の鬼門を守るこの寺の風物が仏法の教義に通じていることを物語り(〈クセ〉),舞を舞い(〈序ノ舞〉),式部の居室であったという方丈に入ったと思ううちに,僧の夢は覚める。

 クセと序ノ舞が中心の本三番目物だが,恋物語ではなく,梅を主軸に叙景的につづってあるので,祝言的な能の一つとみなすこともある。
執筆者:


東北 (とうほく)
Dōng běi

中国の大地域の一つ。東北部にある遼寧,吉林,黒竜江3省の総称。かつて清王朝をつくった満州族の故地にあたるので,満州と呼ばれたこともある。清代には封禁の地とされ,漢族の入植を禁止していたが,ロシア帝国の東方への侵略が進展したため,辺防の必要から入植を認め,清末に至って上記3省を置いた。したがって本地域を東三省とも呼んだ。なお1949年の解放直後,当時置かれていた遼東,遼西,吉林,黒竜江,熱河,松江の6省と瀋陽,鞍山,本渓,撫順,旅大,長春,ハルビン(哈爾浜)7市を管轄する大行政区として東北区が置かれたが,54年廃止された。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「東北」の意味・わかりやすい解説

東北(地区)【とうほく】

中国の東北地区を指す名称。一般的には遼寧,吉林,黒竜江の3省を指す(東三省)。また,1949年に設置された旧大行政区の名としても用いられた。遼東,遼西,吉林,黒竜江,熱河,松江の6省と瀋陽,鞍山,本渓,撫順,大連の5市を管轄下においた(後に長春,ハルビンの2市も加える)が,1954年に廃止された。→満州
→関連項目延辺朝鮮族自治州間島瀋陽中華人民共和国遼寧[省]

東北[町]【とうほく】

青森県東部,上北郡の町。小川原(おがわら)湖及びその西に広がる三本木原上にあり,青い森鉄道が通じる。ナガイモ,ニンジンなど畑作を行うほか,稲作,畜産も盛ん。2005年3月上北郡上北町を編入し,町役場を旧上北町役場とした。東日本大震災で,町内において被害が発生。326.50km2。1万9106人(2010)。

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世界大百科事典(旧版)内の東北の言及

【東北地方】より

…1868年(明治1)に出羽が羽前・羽後両国に,陸奥が陸奥,陸中,陸前,岩代(いわしろ),磐城(いわき)の5国に分けられ,71年に秋田,福島の両県,76年に青森,岩手,宮城,山形の4県の県域が確定した。東北地方の呼称は明治以降に使われだしたが,奥羽地方の名称より一般化したのは,第2次大戦以後のことである。出羽国陸奥国
[自然条件と発展史]
 本州の中では春が遅く,冬が早く来る。…

【中国】より

…そのうち外蒙古はロシア革命の波及によって1924年にモンゴル人民共和国として独立している。満州つまり今日いう〈東北〉も中華民国時代,日本の傀儡政権〈満州帝国〉が一時独立を称していたことがあるが,これは日本の敗戦によって消滅した。中華民国は台湾で独自に政権を立てているが,要するに政権の問題であって,大陸側も台湾側も台湾が中国の一部分,つまり台湾省にすぎないことは明言している。…

【満洲】より

…日本海軍の測量艦(排水量3510トン)。もとはイタリア,ジェノバの造船所で建造されたロシア軍艦。1924年より海洋観測,水路測量に用いられた。25‐26年に同艦艦長を務めた重松良一大佐は,海軍水路部での海洋観測を育てた人。赤道域にまで至る西太平洋の広域の観測に先鞭をつけた。グアム島南西の北緯11゜13′,東経142゜09.5′での〈満洲〉による重錘測深の結果,9818mを得,満洲海淵と命名。本艦では,音響測深をもいち早く取り入れ,測深を採水測温,底質調査とともに海洋調査の主体とする観測方法を確立し,測量艦,測量船による系統的な観測の基をつくった。…

※「東北」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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