松浦(読み)マツウラ

デジタル大辞泉 「松浦」の意味・読み・例文・類語

まつうら【松浦】[姓氏]

姓氏の一。
[補説]「松浦」姓の人物
松浦鎮信まつうらしげのぶ
松浦静山まつうらせいざん
松浦武四郎まつうらたけしろう
松浦輝夫まつうらてるお
松浦寿輝まつうらひさき

まつうら【松浦】[地名]

長崎県北松浦半島北部にある市。玄界灘に臨む。炭鉱の町として栄えたが、現在は閉山し、漁業や繊維・機械工業が行われる。平成18年(2006)1月、福島町鷹島町と合併。人口2.5万(2010)。
[補説]古くは「まつら」で、肥前国の郡名。現在の佐賀県と長崎県の北部の一帯をさした。

まつら【松浦】[姓氏]

姓氏の一。
[補説]「松浦」姓の人物
松浦鎮信まつらしげのぶ
松浦静山まつらせいざん

まつら【松浦】[地名]

佐賀県と長崎県の北部、松浦まつうら地方の古称。末羅。末盧。

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精選版 日本国語大辞典 「松浦」の意味・読み・例文・類語

まつうら【松浦】

[一] 長崎県、北松浦半島の北部の地名。佐世保炭田北部の炭鉱都市であったが現在すべての炭鉱が閉山。機械・繊維業などが進出。昭和三〇年(一九五五市制
[二] 肥前国(佐賀県・長崎県)の旧郡名。明治以前は「まつら」と訓。明治九年(一八七六)長崎県に所属。同一一年東・西・南・北松浦郡に四分されたが、同一六年に東・西松浦郡は佐賀県、南・北松浦郡は長崎県の所属となる。

まつら【松浦】

[一] 肥前国(佐賀・長崎県)北・西部一帯を占めていた古代の国。七世紀の国郡制定以来、肥前国の一郡となる。
[二] 「まつらがた(松浦潟)」の略。

まつうら【松浦】

姓氏の一つ

まつら【松浦】

姓氏の一つ。

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日本歴史地名大系 「松浦」の解説

松浦
まつうら

[現在地名]鶴見町地松浦じまつうら沖松浦おきまつうら

ふき浦の南東、鶴見半島の北岸に位置。「豊後国志」は当地中浦なかうら湊と記し、北方の湾口に島があって風波を防ぎ、湾口が広く、水深が深い良港とする。永禄六年(一五六三)九月一五日の佐伯庄佐伯後室譲与地坪付(大友家文書録)に「まつら 一所浦」とみえる。天正一七年(一五八九)七月一八日には「佐伯中浦」のほしやの市助が伊勢神宮に参詣している(「参宮帳写」後藤作四郎文書)。なお「栂牟礼実録」によると大永七年(一五二七)大友義鑑に攻められ栂牟礼城主の佐伯惟治が憤死したのちも同城にとどまった忠臣中に松浦志摩がいた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「松浦」の意味・わかりやすい解説

松浦[市] (まつうら)

長崎県北端の市。2006年1月旧松浦市と鷹島(たかしま)町,福島(ふくしま)町が合体して成立した。人口2万5145(2010)。

松浦市北部の旧町。旧北松浦郡所属。1975年町制。人口2570(2005)。伊万里湾の湾口に位置する鷹島と黒島を町域とする。鷹島は標高117mの牧の岳を最高点とする玄武岩台地が広がり,リアス式の海岸部は北松県立自然公園に属する。東部の日比からは対岸の佐賀県唐津市肥前町星賀(ほしか)へ,中央の殿之浦からは旧松浦市今福へ,西部の阿翁浦からは旧同市御厨(みくりや)へフェリーが就航している。農漁業が主産業で,台地上では畑作,花卉栽培,畜産が行われ,沿岸漁業とタイやハマチの養殖も行われる。元寇の際の激戦地で,弘安の役では南岸に集結した元軍が暴風雨のため壊滅的な打撃を受け,それを記念する宮地嶽史蹟公園があり,また海底からも多くの遺物が発見されている。

松浦市北東部の旧町。旧北松浦郡所属。人口3202(2005)。伊万里湾内に浮かぶ福島(面積16.7km2)を町域とする。島は第三紀層の上を玄武岩がおおう台地状をなし,最高点の標高は180m。明治中期から石炭が採掘され,中心集落の塩浜は炭鉱町として活気があったが,1972年炭鉱は閉山した。その後,縫製工場やLPG基地が誘致された。農業は米作を中心にミカンや野菜栽培など,漁業はタイ,ハマチなどの養殖が行われる。東の海上に浮かぶ48の岩礁からなるイロハ島は風光にすぐれ,玄海国定公園の一部をなす。東端の喜内瀬(きないせ)と対岸の佐賀県伊万里市波多津(はたづ)とは福島大橋(225m)で結ばれ,塩浜の福島港と伊万里市浦之崎港との間には連絡船がある。
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松浦市本土部の旧市。北松浦半島北部にあり,玄界灘に臨む。1955年市制。人口2万1221(2005)。市役所をはじめ官公署,金融機関,松浦鉄道松浦駅は中心市街地の旧志佐町に集中している。中世の豪族松浦(まつら)党発祥の地で,根拠地の一つ梶谷城跡がある。元寇(弘安の役)の際には沿岸で戦いが行われ,その史跡もある。市制発足当時は石炭鉱業が基幹産業として隆盛をきわめ,1960年には16鉱で年間65万tの生産をあげ,人口も4万4000を数えた。石炭産業の斜陽化とともに69年に炭鉱は姿を消し,深刻な過疎に見舞われた。農業では米作,ミカン,ハクサイの栽培が盛んで,肉牛の生産団地化など,近代農業への脱皮をめざしている。水産業ではハマチ,タイなどの養殖,遠洋まき網漁業基地の建設など漁業基盤整備が進んでいる。工業では内陸部に衣服縫製や缶詰などの工場,臨海部に造船関連工業などが立地した。また沿岸の埋立地に大型の石炭火力発電所(九州電力70万kWと電源開発200万kW)が建設されている。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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