出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
長崎県北端の市。2006年1月旧松浦市と鷹島(たかしま)町,福島(ふくしま)町が合体して成立した。人口2万5145(2010)。
松浦市北部の旧町。旧北松浦郡所属。1975年町制。人口2570(2005)。伊万里湾の湾口に位置する鷹島と黒島を町域とする。鷹島は標高117mの牧の岳を最高点とする玄武岩台地が広がり,リアス式の海岸部は北松県立自然公園に属する。東部の日比からは対岸の佐賀県唐津市肥前町星賀(ほしか)へ,中央の殿之浦からは旧松浦市今福へ,西部の阿翁浦からは旧同市御厨(みくりや)へフェリーが就航している。農漁業が主産業で,台地上では畑作,花卉栽培,畜産が行われ,沿岸漁業とタイやハマチの養殖も行われる。元寇の際の激戦地で,弘安の役では南岸に集結した元軍が暴風雨のため壊滅的な打撃を受け,それを記念する宮地嶽史蹟公園があり,また海底からも多くの遺物が発見されている。
松浦市北東部の旧町。旧北松浦郡所属。人口3202(2005)。伊万里湾内に浮かぶ福島(面積16.7km2)を町域とする。島は第三紀層の上を玄武岩がおおう台地状をなし,最高点の標高は180m。明治中期から石炭が採掘され,中心集落の塩浜は炭鉱町として活気があったが,1972年炭鉱は閉山した。その後,縫製工場やLPG基地が誘致された。農業は米作を中心にミカンや野菜栽培など,漁業はタイ,ハマチなどの養殖が行われる。東の海上に浮かぶ48の岩礁からなるイロハ島は風光にすぐれ,玄海国定公園の一部をなす。東端の喜内瀬(きないせ)と対岸の佐賀県伊万里市波多津(はたづ)とは福島大橋(225m)で結ばれ,塩浜の福島港と伊万里市浦之崎港との間には連絡船がある。
執筆者:松橋 公治
松浦市本土部の旧市。北松浦半島北部にあり,玄界灘に臨む。1955年市制。人口2万1221(2005)。市役所をはじめ官公署,金融機関,松浦鉄道松浦駅は中心市街地の旧志佐町に集中している。中世の豪族松浦(まつら)党発祥の地で,根拠地の一つ梶谷城跡がある。元寇(弘安の役)の際には沿岸で戦いが行われ,その史跡もある。市制発足当時は石炭鉱業が基幹産業として隆盛をきわめ,1960年には16鉱で年間65万tの生産をあげ,人口も4万4000を数えた。石炭産業の斜陽化とともに69年に炭鉱は姿を消し,深刻な過疎に見舞われた。農業では米作,ミカン,ハクサイの栽培が盛んで,肉牛の生産団地化など,近代農業への脱皮をめざしている。水産業ではハマチ,タイなどの養殖,遠洋まき網漁業基地の建設など漁業基盤整備が進んでいる。工業では内陸部に衣服縫製や缶詰などの工場,臨海部に造船関連工業などが立地した。また沿岸の埋立地に大型の石炭火力発電所(九州電力70万kWと電源開発200万kW)が建設されている。
執筆者:竹内 清文
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
長崎県北松浦半島の北岸に位置する都市。1955年(昭和30)志佐(しさ)、新御厨(しんみくりや)、調川(つきのかわ)の3町が合併して市制施行、同年今福(いまぶく)町を編入。2006年(平成18)北松浦郡福島町(ふくしまちょう)、鷹島町(たかしまちょう)を合併。市の中心は志佐で、松浦駅や市役所などの官公署、教育文化機関等があり、市街地を形成。海岸部近くを松浦鉄道西九州線、国道204号が走り、北東端に伊万里松浦道路の調川、今福、松浦の3インターチェンジがある。1960年には市内に16の炭鉱、従業員4842人を数える炭鉱都市で、国鉄松浦線(現、松浦鉄道西九州線)は、沿線の今福、調川、黒潮(くろしお)、御厨の諸港とともに石炭輸送に大きな役割を果たしたが、1969年炭鉱はまったく消滅し、都市の変貌(へんぼう)を余儀なくされた。臨海部では調川―大浜間の地先、志佐―白浜間の地先に広大な臨海工業団地を造成し、造船および関連鉄工業を誘致した。さらに九州電力が70万キロワット、100万キロワットをそれぞれ1基、電源開発が100万キロワット2基の、合計370万キロワットの石炭専焼による松浦火力発電所建設を行い、地元経済の発展を図っている。内陸部では繊維ならびに軽機械工業の誘致を進め、かなりの成果を収めている。農業は低地の米作のほか、背後の丘陵地における棚田での米作が盛んで、ミカン、野菜栽培も進んでいる。漁業はアジ、サバの漁獲量が日本有数で、星鹿(ほしか)ではハマチ、ワカメの養殖が行われている。星鹿の城山(しろやま)は北松県立公園(ほくしょうけんりつこうえん)の中心で、玄界灘(げんかいなだ)を望む展望台があり、付近は元寇(げんこう)の激戦地で蒙古塚(もうこづか)などの史跡がある。鷹島付近の海底からは元の沈船などが発見されている(国史跡鷹島神崎遺跡)。福島の東側は多島海で知られ、鷹島、福島一帯は玄海国定公園に追加指定された。今福の人柱(ひとばしら)地区は寛文(かんぶん)年間(1661~1673)人柱を立てて干拓を行った所と伝えられ、人柱を発議し、自ら人柱に立った田代近松を供養する地蔵尊がある。その北方の城山は、北西九州の沿岸地帯を支配した松浦(まつら)党の始祖が築き居城とした梶谷城(かじやじょう)として知られる。面積130.55平方キロメートル、人口2万1271(2020)。
[石井泰義]
九州北西部、旧肥前(ひぜん)国のうち玄界灘(げんかいなだ)に面する海岸地方の呼称。古くは「まつら」と読む。ただし地理的にはその範囲は明確ではない。地名の起源は、『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』に記載された末蘆国(まつろのくに)に由来するものと思われ、当初は、現在の佐賀県唐津(からつ)市一帯ないし松浦川一帯をさしたものと推定される。『肥前国風土記(ふどき)』(8世紀前半)には松浦郡の記事がみられる。平安時代中期以後、松浦党(まつらとう)が活躍したころは、現在の佐賀県唐津市および東・西松浦郡の地方を上(かみ)松浦とよび、長崎県松浦市および北松浦郡の地方を下(しも)松浦としている。以後、松浦党の勢力の及ぶ範囲を松浦地方とよんだとも考えられるが、平戸(ひらど)藩に属した壱岐(いき)は、松浦地方の範囲内に入れることはない。松浦の地名は集落名としては存在しうるとしても、地方名としては現在使用されることはまれである。
[石井泰義]
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